2014年6月・7月の4冊 本文へジャンプ
今回は「物語」に関する研究書3冊+「実話」1冊をご紹介します。

浅見昇吾編『死ぬ意味と生きる意味〜難病の現場から見る終末期医療と命のあり方〜』、上智大学新書、2013年


内容

 どんな人にもその人なりの「物語」があります。その人の価値観や生活体験に裏打ちされた、その人なりの統合されたストーリーといえばよいでしょうか。今回は、この「物語」に関連した4冊の本をご紹介します。

 最初は、難病の現場に携わる当事者やケア提供者、研究者が書いた本です。上智大学の社会人講座に集まった様々な分野の講師の講義に基づいて、執筆されています。
 第1章「社会組織に於ける障害者論(序説)―その立場と実証」を書いた舩後靖彦さんの本は、以前このコーナーで取り上げたことがあります。舩後さんは、今年の12月に我が学部の公開講座に来ていただくALS(筋萎縮性側索硬化症)患者であり、人工呼吸器をつけている全介助の男性です。ALSの告知を受けてからの12年の道のりと、周囲の人々から受けた壮絶な虐待体験について綴っています。
 また第2章「
『難病』と社会政策―当事者のまなざしから」も、以前取り上げたことのある大野更紗さんが執筆されています。『困ってる人』はものすごく良い仕上がりの作品でしたが、この第2章もまた真正面から「難病」と社会政策について取り上げており、さすがに元研究者志望であっただけあり、冴えた筆には感服しました。
 そして、一番インパクトがあったのは、入江杏さんの書いた第7章「病と障がいの母を看取って―曖昧な喪失と公認されない喪失」でした。入江さんは、2000年の大晦日に起こった「世田谷一家殺人事件」で妹一家を亡くし、2010年に最愛の夫を病気で亡くし、2011年に母親を病気で亡くされています。「これでもか」という畳みかける悲しい出来事を振り返り、悲嘆を複雑化させる「公認されない喪失」と「曖昧な喪失」について考察しています。「公認されない喪失」とは、その悲しみの存在を公表できない喪失にまつわる悲嘆のことであり、「ある種の特殊な人間関係や状況の中ではこういった通常与えられる権利がなく、まったくの暗闇の中で孤独の内で悲しみに向き合わざるを得ない』(p.243)ことを指します。また、「曖昧な喪失」とは、「さよなら」を伝え合うことができない曖昧な別れである身体的喪失と、身近にいるにもかかわらず、日常的なやり取りが欠如したり、理解不能な言動が出現して、心が失われていく心理的喪失が含まれます(pp.249‐250)。読みながら、私自身の「物語」に点在するいくつかの喪失を思い出しました。
 どの章を読んでも「死ぬ意味と生きる意味」を問う、筆者ひとりひとりの大切な「物語」が綴られています。この本を読み、自分の日常生活を振り返るきっかけをもらった気がしています。



目次


序章 難病を考える―難病と社会の道徳的基盤
第1章 社会組織に於ける障害者論(序説)―その立場と実証
第2章 「難病」と社会政策―当事者のまなざしから
第3章 障害者制度改革と障害の社会モデル、エンパワメント
第4章 「生きる」を支える―難病介護という関わりの中から浮かび上がるもの
第5章 難病を支え合う―難病看護の立場から
第6章 「生きる力」を支える事前指示書(リビングウィル)のために
第7章 病と障がいの母を看取って―曖昧な喪失と公認されない喪失
第8章 声を上げる患者たち―社会の中で生きるためのしなやかな闘い
第9章 医療への社会学的まなざし
第10章 ケア的発想とは何か―新しいケア原理の可能性のために



熊谷晋一郎著『リハビリの夜、医学書院、2009年


内容

 熊谷さんの本についても、一度このコーナーで紹介しました。今回の本は、出生時の酸欠により「随意的な運動」をつかさどる部分がダメージを受け、イメージに沿った運動を繰り出すことができない氏のリハビリにまつわる「物語」です。
 そしてユニークなのは、体に合わない規範を押し付けられたという体験により、氏の体に刻み込んでいった独特の官能について考察している点です。「私は相手が男子であれ女子であれ、圧倒的な力で(しかし安全に)敗北することに、ある種の官能を伴うようになった」(p.16)と、そのような様々な場面での「敗北の官能」について述べています。
 例えば、第4章「1 対比に萌える」では、氏は自分の身体の小ささや弱さを見せつけられるような「対比場面」に直面するたびに、敗北の官能にとらわれるようになったといいます。幼稚園のころ、近くに住んでいた一つ下の男の子と、ゲームの取り合いになったことがあり、組み伏せられてあっけなく取り上げられ、馬乗りされたまま腹の上でゲームをする姿を見せつけられたとき、「悔しくて惨めで泣きたい気分が立ち現われるや否や数秒後には、官能の波が襲ってきた」(p.117)と述べています。そして丁寧にもコラムでは「規律訓練とマゾヒズム」についても解説しているため、「ふむふむ、そういうことか」と一連の出来事を解釈することができました。
 また、氏は自分ひとりでは排泄できないため、他者を介在する失禁介助のプロセスを書いた項目をつなげると以下のようになります。「身体内からの動きが下腹部で衝突する」→「私が失禁しないための条件」→「まずは人を探し、便意を無視してみる」→「さりげなく交渉に入る」→「腸との対面交渉へ」→「失禁という快楽……」→「とまどう失禁介助者をエスコートする」→「誘い、一体となり、世界とつながる」→「『なんとかなるさ』の自由」(pp.210-220)。
 脳性マヒ当事者でないと分からない感覚、語れない体のニュアンス、見いだせないプロセスが満載で、興味が尽きない1冊でした。
 



目次


はじめに

序章 リハビリキャンプ
第一章 脳性まひという体験
 1 脳内バーチャルリアリティ
 2 緊張しやすい体
 3 折りたたみナイフ現象の快楽
 4 動きを取り込み、人をあやつる

第二章 トレイナーとトレイニー
 1 ほどかれる体
 2 まなざされる体
 3 見捨てられる体
 4 心への介入が体をこわばらせる
 5 体への介入が暴力へと転じるとき
 6 女子大生トレイナーとの「ランバダ」

第三章 リハビリの夜
 1 夕暮れ
 2 歩かない子の部屋
 3 歩く子の部屋
 4 女風呂
 5 自慰にふける少年

第四章 耽り
 1 対比に萌える
 2 取り込めないセックス
 3 規範・緊張・官能
 4 打たれる少女

第五章 動きの誕生
 1 モノと作り上げる動き
 2 人と作り上げる動き
 3 「大枠の目標設定」が重要な理由
 4 世界にそそぐまなざしの共有
 5 助け合いから暴力へ

第六章 隙間に「自由」が宿る−もうひとつの発達論
 1 両生類と爬虫類の中間くらい?
 2 便意という他者
 3 身体に救われる
 4 むすんでひらいてつながって
 5 衰えに向けて

 注
 文献
 あとがき



荒井浩道著『ナラティブ・ソーシャルワーク』、新泉社、2014年


内容

 さて、当事者の本が2冊続いたため、支援者側の研究書も取り上げないわけにはいきません。荒井氏によるこの本は、ソーシャルワークの領域ではほとんど行われていないナラティブ・アプローチを用いた実践の可能性を展開したものです。
 まずナラティブとは何かについてですが、「『物語』と訳される場合は、出来事のたんなる羅列ではなく、なんらかの筋書きのあるストーリーという意味合いが込められて」おり、「『語り』と訳される場合は、ある個人の経験にもとづいた発言を意味し」、声と訳される場合には「大きな声に押しつぶされそうな小さな声という意味が込められて」います(p.8)。このような複数の意味が込められている言葉ですが、共通することは「ナラティブの持ち主の経験を、より深く理解しようとする視点」です(p.8)。そしてこのナラティブの考え方にもとづいた支援方法が「ナラティブ・アプローチ」なのです。
 氏はソーシャルワーク領域におけるナラティブ・アプローチの貢献として、「@『物語への言語的介入』という技法をもたらしたこと、A『支援関係の問い直し』という視点を導入したこと」(p.29)を挙げています。そして事例に即して、ナラティブ・アプローチの機能について説明している部分では、以下の部分が分かりやすかったです。「ナラティブ・アプローチでおこなっているのは、『もう一つの物語』(評者注:オルタナティヴ・ストーリー)による『こだわっている物語』(評者注:ドミナント・ストーリー)の『書き換え』ではなく、『こだわっている物語』と『もう一つの物語』の均衡が図られるように『調整』することといえます。」「大切なのは、『こだわっている物語』と『もう一つの物語』の位置関係、力関係を整理し、『こだわっている物語もあるけど、もう一つの物語もある』という『複雑な物語』についてAさんがきちんと理解することです」(p.54)。なかなかバランスのとれた解説だと思いました。
 ただし、私自身の読み込み不足を棚に上げて言わせていただくと、どうしてもナラティブ・アプローチだけでは解決できない問題があったり、アプローチ自体に適用限界があることを、さらに明確に打ち出してもらえるといいなと思いました。そして、ぜひ実践者向けの研修を各地で展開していただけたらと、陰からエールと注文を送らせていただきます。
 



目次


I ナラティヴ・アプローチとは何か?
II 困難事例を支援する
III 多問題家族を支援する
IV グループで支え合う
V コミュニティの物語をつむぐ
VI ナラティヴ・データを分析する




マリーナ・チャップマン著『失われた名前〜サルとともに生きた少女の真実の物語〜』、駒草出版、2013年


内容

 さて、最後の1冊は研究書ではありません。が、今回私が一番紹介したい本です。
 コロンビアに住んでいた少女が、推定5歳で誘拐されジャングルに置き去りにされます。そして、サルの群れと一緒に生活し、サルと同じ物を食べ、サルの言葉を解しながら約5年間、ジャングルで暮らします。その後、人間界に戻った少女が引き取られたのは売春宿を経営している家であり、すんでのところで売春をさせられる前に逃げ出すことができました。その後、ストリート・チルドレンとなり、ギャングの家で下働きを行い、修道院に入れられ、そして一筋の希望を頼りに新たな生活を切り開いていくところでこの本は終わっています。現在、筆者は結婚して2児の母親となり、イギリスで暮らしています。
 サブタイトルに「真実の物語」とあるように、この本はマリーナの語ったことを次女と小説家が聞き書きしてまとめ、一つのストーリーを再構成したものです。かなり数奇で壮絶すぎる話の数々に、「実話」と言われてもにわかには信じがたいものがありますが、ストーリー展開と訳がとても優れていて、仮に実話でなかったとしても大変面白い本でした。
 それにしても、やはりジャングルで暮らしたとしか思えない描写が数多くあります。例えば、食べ物の描写。「ルロというオレンジ色の大きな果物は、木からもぎとる前に必ず揺さぶったり、匂いを嗅いだりした。あとで知ったのだが、それにはちゃんと理由があった。ルロの実は、よく熟していないとひどく酸っぱいのだ。太いキュウリに似たルクーバの実も同じだ。サルたちは緑色のうちは手をつけず、明るい茶色になるのを待って食べるのだった。…私は虫は苦手だったが、アリだけは例外だった。食べてみて驚いた。シャリシャリした触感でおいしいのだ。うれしいことにアリは森のどこにでもいて、見つけるのに苦労しなかった」(pp.41-42)。他にもいろいろとサルの視点から見た森の暮らしが展開されています。これから続編が出るようなので楽しみです。
 一仕事終わって思いっきり気分転換したくなり、海の見えるホテルにこの本を持ち込んで読み耽ったのですが、しっかり異世界へトリップし、リフレッシュすることができました♪
 



目次


序文
プロローグ
第1部 ジャングル
第1章 誘拐
第2章 緑の地獄
第3章 無数の目
第4章 サルまね
第5章 生きる術
第6章 グランパ
第7章 群れの一員
第8章 鏡のかけら
第9章 生む女
第10章 人間の集落
第11章 心の家族
第12章 襲来
第13章 離別
第2部 人間の世界
第14章 後悔
第15章 悪夢の旅
第16章 カルメン
第17章 忍従の日々
第18章 人間の暮らし
第19章 警告と事故
第20章 逃走
第21章 路上生活
第22章 チャンス到来
第23章 ギャングリーダー
第24章 犯罪一家
第25章 秘密の友だち
第26章 脱出
第27章 修道院
第28章 壁の外へ
第29章 未来への試験
第30章 私の名前
あとがきにかえて
慈善団体紹介







2014年4月・5月の3冊へ

2014年8月・9月の3冊へ