2017年1月・2月・3月の数冊 本文へジャンプ
今回は「当事者のリアルを捉える」がテーマです。

鈴木大介著『脳が壊れた、新潮新書、2016年

内容

 福祉の実践や教育を行っていくうえでどうしても避けられないのが、「当事者の気持ちがわかるの!?」という問いかけです。特に、若いワーカーが親の介護に悩んでいる歳上の人の相談にのったり、自分は経験していない子育て問題を抱えた人の相談にのるときに、当事者から言われがちな言葉として、ずっと昔からこの問いかけはされています。実習生などがこの問いかけに傷ついて戻ってくる例もみられます。
 それに対して、「他人の経験は10人10色でわからないのが当たり前。だから想像力を働かせよう」と話すことは簡単です。でも、あなたはどこまで相手の状況を想像できますかと聞かれた時に、果たしてどれくらい深く想像できるでしょうか。頭でわかっている(ような気になっている)レベル、感情を伴うレベル、身体的感覚を伴うレベルと、想像すると一言で括ってしまえないバリエーションがあるのだと思います。
 それでも、私達は相手のことを知り、相手にとって必要な何かが提供できるよう、日々務めなくてはなりません。当事者と接した後に自分のことに置き換えてみたり、疑似体験をしてみたり、自分自身で何らかの経験をしたり…果てしなく試行錯誤は続きます。たぶん、対人援助職として自分とは異なる他者と接していくかぎり、この追求は続くのでしょう。
 そこで、今日はその一助になる本をご紹介したいと思います。病気や障害を患った人達のリアルな実状を理解するために、ぜひ一読していただきたい本ばかりです。
 
 2015年2月・3月に鈴木大介さんの本を紹介してから、私のなかでは少しブランクがありました。鈴木さんが脳梗塞に罹られたことは知っていましたが、彼の本を読むのを休んでいました。そして、少し前の私のテーマが「日本の風俗穣の現状を知ること」だったので、中村淳彦著『日本の風俗穣』(新潮新書、2014)や中村淳彦・鈴木大介著『貧困とセックス』(イースト新書、2016)を読んでいたのですが、正直いって通り一遍な感じがしてあまり面白くありませんでした(すみません、でもいろいろな発見はありましたよ)。でも、後者の本のなかに鈴木さんが病気をした後の取材に凄みが出たとあったので、軽度の高次脳機能障害が残った鈴木さん本人が発症後の生活やリハビリを書いたこの本を読んだところ、それはそれは大ヒットでした。
 
「病識があり軽度な高次脳機能障害である僕が、自分の負った障害の不自由感や辛さや当事者感覚をできるかぎり言語化してみようと思います」(p.12)というのが本書の目的であり、そのとおりに41歳での発症直後のこと、入院中のこと、退院してからのことをリアルな当事者目線で綴っています。とりわけ、どのような状況で感情失禁が起こるのか(第6章)の記述は圧巻です。筆者は自らの感情失禁を次のように分析します。「まず単に感情の抑制がきかないことに加え、感情そのもののパワーもとてつもなく大きくなっていることを、僕は自身で自覚している。その上で僕は、必死にその感情が爆走しないように抑制している状態なのだ」(p.120)。それらが具体的にどんな状態なのかは、本書で確認してください。
 そして、なんといっても驚異的なのは、鈴木さん自身に構音障害があったにも関わらず、不断の工夫とリハビリでここまで理性的な文体で自らの状態を客観視しながら1冊の本がまとめられる彼の努力と力量に対してです。つくづく聡明な人だなと思いました。
さらに、彼よりも先に生存率8%の脳腫瘍を患った後に見事に生還された、少し発達障害傾向のある奥様への深い愛情に満ちた本でもあり、そのくだりにはじんわりと涙が出たりもしました。
 この本は、医療機関や障害者福祉分野で働くソーシャルワーカーにとっての必読文献です「お薦めします」ではなく、「必ず読んで下さい」とあえて言わせていただきます。もちろん、学生にも薦めたいと思います。
 

目次


まえがき

第1章 どうやら脳がまずいことになったようだ
二〇一五年初夏の消防団員 奪われてしまう宝物 「過労死するどー」
離脱する魂

第2章 排便紳士と全裸の義母
トイレの個室に現れた老紳士 変質者になった僕 片輪走行の脳

第3章 リハビリは感動の嵐だった
念動力の感覚 リハビリとはくじ引きである やればやっただけ回復する
脳細胞は助け合う 本が読めない

第4章 リハビリ医療のポテンシャル
発達の再体験・追体験 発達障害は生まれつきなのだろうか リハビリと高齢者の群れ
リハビリスタッフのポテンシャル 彼女たちの事情 リハビリのスキルに光を

第5章 「小学生脳」の持ち主として暮らす
記者廃業か 道路が渡れない 「妻の罵声」リハビリ
妻の世界が見えてきた 小学生脳 ロボットと人間の差
「不自由なこと探し」は難しい

第6章 感情が暴走して止まらない
構音障害 目の前にデギン登場 笑いが止まらなくなる
中二病女子的症状 巨大な感情のパワー

第7章 本当の地獄は退院後にあった
見た目は健常者でも 大きすぎる感情は言語化できない 泣きたいだけ泣くと
恐怖のNHK集金員

第8章 原因は僕自身だった
なぜ俺が 上がり続ける血圧 妻と僕の十六年間
面倒くさい人は愛らしい 妻の発病 生還
「家事をしなくていい」 背負い込むと無理が生まれる 優しさの質

第9章 性格と身体を変えることにした
家事の分担を決める 退院後の1日 身体の改善
元アスリートはタチが悪い BPMランの導入 我慢しないダイエット

第10章 生きていくうえでの応援団を考える
平和である 人の縁というネット 応援団を持つ
見栄とプライド 父への手紙 黙って行動を

鈴木妻から読者のみなさんへ

あとがき



大野更紗著『シャバはつらいよ、ポプラ社、2014年


内容

 鈴木さんの本と並んでお薦めなのは大野更紗さんの本です。大野さんは、このコーナーでは2回目の登場です。大野さんは皮膚筋炎と筋膜炎脂肪織炎症候群という、全身の免疫システムが暴走して自分自身を攻撃するという難病に罹り、生きていくうえでは、ステロイド剤や免疫抑制剤、大量の痛み止め、それらの重篤な副作用を抑え込む薬などを毎日投与しなければなりません。
 そんな大野さんが退院してひとり暮らしをするなかで出会った数々の出来事を綴っています。鈴木さんと同様に大野さんもかなり知的レベルが高く、自らの置かれている状況をリアルに言語化して伝えています。この本では、1人の難病患者の状態に留まらず、その人を巡る社会システム、社会保障についても知らせてくれる情報が含まれているので、読んでいて考えさせられる箇所が随所にありました。鈴木さんが家族や周囲に支えられて生き抜いてきたのとは対称的に、ひとり暮らしの大野さんは医療と社会保障が頼みの綱であるものの、果たしてそれがきちんと機能しているのかという視点で読むと、また日本社会の別の一面が見えてきます。
 とりわけ3.11の大震災後に一人でマンションにいる時の切迫した様子が伝わってきました。ただでさえギリギリのラインで生きている大野さんにとって、全ての機能がシャットダウンした状況下で生き延びるためには、相当の奮闘が求められます。とにかく考え得るかぎりの妥当な情報発信をするべく、パソコンに向かいつぶやくのです。『おせっかい、躊躇をすべて無視して、高齢者、障害者、難病患者、周囲住民に声をかけまくって』『彼らは自力で動けない、避難できない、室内に物が散乱してもどうすることもできない』『ステロイド、透析、血液製剤、免疫抑制剤等、医療行為・薬品が生命維持に毎日不可欠なひとの医療ライン確保を』(p.175)。
 ああ、私は一体何ができるのだろう。とにかく、自分にできる何かをやらなければ。。。締め付けられるような自戒の念を抱きながら、読ませていただきました。


目次


門の中
シャバの初夜
在宅の夏、試練の夏
2010年、うちゅうじんとの遭遇
腕、流れる
「福祉」は引き算の美学!
つぶやけば、人にあたる?
先生には、ヒ・ミ・ツ
はじめての、年越し
書かなきゃ、書かなきゃ、書かなくちゃ
ゆ・れ・る
お役に、立ちたい
シャバが、好きだよ




伊藤亜紗著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、光文社新書、2015年


内容

 ここで、少し違った目線から当事者のリアルを見てみましょう。
  この本は、視覚障害者本人ではなく、その人達と関わっている東京工業大学教員の伊藤先生が書かれたものです。日本社会福祉学会関東部会で伊藤先生を講師にお呼びした際に、企画を考えた一員だったにも関わらず当日は校務で学会には出席できず、という残念な状況でした。伊藤先生のお話は聞けなかったものの、この本はとてもインパクトが強く、講演でも紹介させていただいています。
 この本の肝は、タイトルどおり目の見えない人が世界をどう見ているかについて、読み解いている部分です。例えば、伊藤先生が東京工業大学大岡山キャンパスの研究室に向かって全盲の木下さんと歩いている際に、木下さんは「大岡山はやっぱり山で、いまその斜面をおりているんですね」と言いました。毎日のようにそこを行き来していた伊藤先生にとっては、それはただの「坂道」でしかなかったため、かなりびっくりしたそうです。「つまり私にとってそれは、大岡山駅という『出発点』と、西9号館という『目的地』をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばもう忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された『部分』でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたのは、もっと俯瞰的で空間全体をとらえるイメージでした」(pp.47-48)。「人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同じ坂を並んで下りながら実は全く違う世界を歩いていたわけです」(pp.49-50)。
 と、こんなエピソードが随所で出てきます。人それぞれの「意味」の違いを考えるうえでも、興味深い1冊です。


目次


【まえがき】
【本書に登場する主な人々】
【序 章】見えない世界を見る方法
【第1章】空  間 ―― 見える人は二次元、見えない人は三次元?
【第2章】感  覚 ―― 読む手、眺める耳
【第3章】運  動 ―― 見えない人の体の使い方
【第4章】言  葉 ―― 他人の目で見る
【第5章】ユーモア ―― 生き抜くための武器



「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ著、野澤和弘編著『障害者のリアル×東大生のリアル』、ぶどう社、2016年


内容

 さてさて、最後はいささか変化球的な本をご紹介します。
 東京大学学生が自主運営し、「障害者のリアルに迫る」というテーマでゼミを行います。編著者の野澤先生は非常勤の担当教官という立場で、このゼミに関わります。ゼミでは、毎回障害をもつ人をゲストで呼び、話しをしてもらうだけでなく討論も行います。例えば2015年のゲストは、南雲明彦さん、牧野賢一さん、熊谷晋一郎さん、向谷地宣明さん、小山内美智子さん、福島智さんというそうそうたる顔ぶれで、この分野に疎い私でも知っている人達でした。
 そして、この本のミソはゲストの講演内容を載せたのではなく、ゲストの話を聞いた東大生自身が感じたこと、考えたことを自分に引きつけて書いていることです。とにかくいろいろな東大生の本音が描かれています。「このゼミは私たちに、『わからない』ことを教えてくれた。自分たちが今まで考えていた『障害者』はのっぺらぼうなこと、それに気づけたことは、確かに進歩だった。だけど、顔がついたあとは、今度は、目の前のその人を理解できないということにもどかしさを感じる」(p.64)。障害をもつゲストを呼んだこのゼミは、東大生に何らかの化学反応をもたらす場でした。障害者を見下していた自分に気がついた葛藤、これまで見ないようにしてきた自身のコンプレックスとの直面、障害をもつ姉妹への思い、自傷行為を行った過去等々、場に突き動かされた後の本音がこれでもかと出てきます。
 たぶん、「勉強では頂点を極めた人」というただ一つの扇の要以外は千差万別の東大生のリアルが読み取れます。私は家族を含め身近に東大出身者がいるため、東大に特別な感慨はないのですが、このようなゼミの取り組みが他校でもできると面白いだろうな、という視点で読みました。


目次


プロローグ 私のいない未来へ
1岡部 宏生 ALS/喪失と死を見つめて・見下す
2南雲 明彦 ディスレクシア/さすらうアイデンティティー・コンプレックス・のっぺらぼう
3母親 + 障害児 医療的ケアの必要な障害児/手のひらの命・気持ち悪さ
4竹村 利道 障害者の就労支援/ 破壊者のまなざし・社会的弱者と最高学府
5牧野 賢一 + 軽度の知的障害者 罪に問われた障害者/逸脱する魂・「違い」と「同じ」・境界線・価値の一元化
6向谷地 宣明 +「べてぶくろ」の利用者 精神障害者/生きるか死ぬか・自由
7小山内 美智子+福島 智+熊谷 晋一郎 障害者の性/生と性の宇宙へ・ぶっこわしたい
エピローグ 自らのリアルを探そう



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