2016年7月・8月・9月の4冊+アルファ 本文へジャンプ
今回は、ソーシャルワーカーと研究者が書いた本4冊+アルファを紹介します。



川村博文著『患者とともに〜寄り添う医療ソーシャルワーク〜、新潮社、2016年


内容

 この本、私にとっては近来稀にみる大ヒット作品でした!読みながら何度も涙し、読み終わってものすごく感動したため、思わず会ったことがない川村先生に自分の気持ちを伝えるメールを送ったほどです。
 
何がそんなに感動したのか。とにかく、徹底的に患者に寄り添う医療ソーシャルワーカーの姿が、どの話からもひしひしと伝わってくるのです。プライバシー保護のため加工はしてあるものの全て真実の物語であり、医療ソーシャルワーカーの仕事とはマニュアルではなく、人と人との対人援助の過程なのだということを、改めて思い起こさせてくれるものでした。
 このなかには、いろいろな人が登場します。例えば、悲しい思い出とともに亡くなった水商売の女性に付き添っていた同じ店で働く女性は、筆者にむかってこんなふうに語ります。「私らは、板一枚の下はみんな海、狭い港の中で、みんな小さな船を必死に漕いでいるんだ。灯台もない、水先案内人もいないなかで、みんな自分の船に精一杯荷を積んで、ぶつからないように生きているんだ。少しは周りをみてやって、ぶつからないかどうかみて進まないと、あんたも相手も暗い海の底に沈むよ」(p.109)。だから自分は水先案内人でなければいけないのだと。そして筆者も自問します。「現代のソーシャルワーカーも考えてみてほしい。私たちも『水先案内人』でなければならないのでは」(p.113)。

 
ここに出てくる医療ソーシャルワーカー(ほとんどが川村先生)は、何度も何度も葛藤し自問しながらも、それでもワーカーの原点である相手のいる場所からはじめ、相手に寄り添い続けることをやめません。

 「どんなときも、患者の心に寄り添い、
  どんなときも、人間の価値と可能性を信じて、
  わからないことは、専門職の誇りにかけて学ぶ、
  これが患者とともに学んだ、医療ソーシャルワークの原点である。」(p.218)


 だから私は、このなかで貫かれているソーシャルワーカーのあり方、つまり一番ソーシャルワーカーにとって大切なことを学生達に伝えていくことに決めました。医療ソーシャルワーカーに限らず、あらゆるソーシャルワーカーを目指す人たちに、現役のソーシャルワーカーに、一般の人々に読んでいただきたい1冊です。


目次


「患者とともに」出版に寄せて 児島美都子

プロローグ これからの時代のあなたたちへ

第1話 時計屋のある坂道

第2話 誰がために鐘は鳴る

第3話 水先案内人

第4話 北の国から

第5話 ダース・ヴェイダー

第6話 黄昏どきの塗り絵

第7話 小僧の神様

エピローグ

おわりに




村尾泰弘著『家裁調査官は見た〜家族のしがらみ〜、新潮社、2016年


内容

 私の前の研究室にいらっしゃる村尾先生からこの本をいただいたとき、脳裏に浮かんだのは『家政婦は見た』で市原悦子さんがドアから半分覗き見している顔でした。偶然にも何かいけないものを見てしまった、もしくは、見てはいけないと思いつつどうしようもなく惹かれて見てしまう、というニュアンスがこもったタイトルです。さっそく読んでみました。もともと村尾先生は心理のご出身であり、家裁調査官をソーシャルワーカーと言ってしまうのは語弊があるかもしれませんが、ここでは広い意味でのソーシャルワークの要素も兼ね備えた仕事として考え、紹介していきます。
 
内容は、「ガチで」現場で起こっていることとその分析的解釈から成り立っています。なかでも印象的だったのは、箱庭療法の部分です。父親を憎む不良少女が4回目の箱庭療法で作ったのは、砂漠で子どもが一人泣いている光景でした。彼女はそれに「ひとりぽっち」という題名をつけます。そして筆者はこんなふうに続けます。「口数の少ない彼女は多くを語らなかったが、それは孤立無援で苦しんでいる彼女の状況を見事に表していた。」(p.46)。こんな現場の最前線で働く家裁調査官の仕事は、さぞやりがいのあるものだろうと思いました。ただ、難易度が高いのが現実ですが。。。
 こんなふうに、この本はタイトルに比べ内容は多少専門的知識を要するため、学部生なら心理学や家族療法を多少なりとも学んだ段階で読むと、現場で繰り広げられる現象と知識を結びつけてとらえることができるのではないかと思います。



目次


はじめに――夫を毛嫌いするミサコの訴え

第1章 感情転移という「怪物」
「雑魚寝事件」の急展開/ 「母が重たい症候群」「娘が遠い症候群」
カウンセリングの「魔力」/ 乳幼児の愛と憎しみ
社長夫人を刺したタケオ/ 家裁が下す様々な処分
試験観察は魅力的/ 父親を憎む非行少女アツコ
箱庭に造られた墓/ 「泣き通して、死んでしまう」
箱庭は心理テストか/ マナミの病的な嫉妬心
「見捨てられる」という不安/ マサヨシの屈折した嫉妬
感情転移は誰にも起こる

第2章 知的エリート女性の挫折と暴力
最悪な夫と別れない妻/ DVのサイクル理論
「これは虐待じゃない! 」/ 我が子を捨てて消えたハルミ
肥大する「いい母」願望 / ノーバディズ・パーフェクト・プログラム
「家族システム」を治療する/ 不安を減らすイメージ化
母親の愛の二面性/ 「白雪姫」を好むのは誰か
継母の視点で読む「白雪姫」/ なぜ娘は父親を嫌うか
暴力高校生ケンジの不満/ 父親が機能しない家で起こること
「可愛がってくれる人」を裏切るシンジ

第3章 薬物は「家族」の代用品
薬物乱用少女マキコ/ 「手のかからない子」の反動
「頭がグチャグチャの女性が自分に乗り移る」/ 身体的快感と心理的快感
「先生、『術』って知ってるかい」/ 中毒少年たちの言い分
覚せい剤乱用少女サヤカ/ 変わり果てたサヤカ

第4章 「家族神話」のダークサイド
「家族神話」のダークサイド/ 「父親が暴力をふるうかもしれない」
施設で育った兄弟のトラウマ/ 恨みや攻撃性は向きを変える
「やくざにもなれなかった」トウタの殺人
不登校児ミノルの心配ごと/ 過干渉から非行が生まれる
対立をエスカレートさせる言葉/ 「解決志向アプローチ」
捨ててしまった解決法を探す/ 「ナラティヴ・セラピー」
「自分が変われば」という落とし穴/ 「ずるがしこいウンチ」療法
フロイトの説いた無意識/ 自分の影と和解する
エリート両親の影とゲンタ/ 死んだ家族の影響力
「ロールレタリング法」/ 過去は変えられない?
轢き逃げ事故の「続き」

おわりに――キレること、切れているということ




武田建・津田耕一著『ソーシャルワークとは何か〜バイステックの7原則と社会福祉援助技術』、誠信書房 、2016年


内容

 このところ、バイステックの名前がタイトルに入っている本が数冊目につき、買ってみることにしました。私はバイステックは尾崎新先生の訳書『ケースワークの原則 新訳版〜援助関係を形成する技法〜』(1996年、誠信書房)で学んだ世代ですが、田代不二男・村越芳男訳『ケースワークの原則 よりよき援助を与えるために』(1965年、誠信書房)で学んだ方にとっても、馴染みのある名前でしょう。
 しかしながら、日本ではバイステックの7原則を批判的に捉える流れもあります。その点について、この本ではどのように説明して取り上げているのかが気になりました。それについては「キリスト教を背景にした考えはわが国には馴染みにくく、7原則だけ取り出して、わが国の社会福祉に当てはめるのは限界があるのかもしれません。…またバイステックの原則は、このほかにも心理学の影響を強く受け過ぎているといった問題点も指摘されています。そして、米国社会と日本社会、米国人と日本人との違いを考慮しないといけないという指摘などがあります」(p.5)と書かれてあります。そのうえで、「本書は、バイステックの7原則を批判的に捉えるというよりも、現在のわが国のケースワークにどのように活用してゆけばよいのかといった観点から書き進めていきます」(p.6)とスタンスを明確にしています。
 本書の内容は原則的かつ平易で、例えば講義でアウトラインの説明を受けた後にもっと知識に肉付けしたいときに読むと、スムーズに入る内容となっています。現場実践者の方々が中心に書かれた『現場で磨くケースワークの技〜「バイステックの原則」を基に〜』(高山俊雄編著、現代書館、2015年)をあわせて読むと、バイステックの原則に対する理解が深まると思います。


目次


序章 援助関係を土台としたソーシャルワーク
1章 バイステックの7原則
2章 クライエントとワーカーの間
3章 援助関係の形成の過程
4章 面接のはじめから終わりまで―ケースワーク面接
5章 積極的アプローチ
6章 ワーカーのいろいろな働きかけ
7章 事例研究
終章 対人援助職のすばらしさ




岡本民夫監修・平塚良子・小山隆・加藤博史編『ソーシャルワークの理論と実践〜その循環的発展を目指して〜、中央法規 、2016年


内容

 最後は、少し難しい理論書の紹介を。
 この本はタイトルにあるようにソーシャルワークの理論と実践の相互循環的発展を軸に展開されているものです。ねらいとしては「わが国のソーシャルワークをめぐっては厳しい現実や課題がありながらも、ソーシャルワークの理論と実践の関係を問い、再考を通してソーシャルワークの知のあり方を探るとともに、質の高い実践の展開に資することを目指すものである。同時に、こうしたことから、ソーシャルワークの通時性、特殊性のみならず、普遍性や共通性についても深める機会としたい」(はじめに)ということです。
 そうそうたるソーシャルワーク研究者の先生方が執筆されており、「ソーシャルワーク研究は西が強い」と言われている実態をまさに体現しているようです。特に印象に残ったのは、「第16章 自殺予防とソーシャルワーク実践」と「座談会 ソーシャルワークの理論と実践〜その循環的発展を目指して〜」でした。前者は、ちょうど私の周囲で自殺が数件あり内容に共感できたということ、自殺が起こる前の防止策(プリベンション)とすでに起こってしまった後の自殺対策(ポストベンション)に分けて論じられており、参考になったためです。後者は、このような理論書にしては編者の顔写真入りで座談会が載っているのはユニークだなと感じ、もっと長く対談をしていただきたいと思ったからです。
 この本は、ソーシャルワーク理論を学んだ高学年の学部生か大学院生が読むと、内容の理解がしやすいのではないかと思います。


目次


第1部 ソーシャルワークの理論と実践の基本的枠組み
 第1章 日本におけるソーシャルワーク理論と実践―過去・現在・未来
 第2章 ソーシャルワーカーによる実践の思想史的生成―社会環境を創り出す葛藤止揚過程としての“自己決定”への支援
 第3章 ソーシャルワークの科学という課題
 第4章 ソーシャルワークの理論と実践の関係再構築
 第5章 ソーシャルワークの価値と倫理

第2部 ソーシャルワーク理論の活用と検証―理論と実践―
 第6章 問題解決アプローチ
 第7章 実存主義的アプローチ
 第8章 エンパワメントアプローチ
 第9章 エコロジカル・アプローチ
 第10章 ナラティブ・アプローチ
 第11章 ストレングス視点アプローチ

第3部 ソーシャルワーク現場にみる経験知と理論の活用、その検証―実践から理論へ―
 第12章 知的障害者領域におけるソーシャルワーク実践
 第13章 高齢者領域におけるソーシャルワーク実践
 第14章 保健医療領域におけるソーシャルワーク実践
 第15章 精神科医療におけるソーシャルワーク実践
 第16章 自殺予防とソーシャルワーク実践

座談会:ソーシャルワークの理論と実践―その循環的発展を目指して―




「新しいつながり」について考える本

 ここではこの間読んだ本のなかから、「新しいつながり」について考えさせられる何冊かを紹介します。
 まず、やはり最初に基本を押さえなければと、『ソーシャル・キャピタル入門〜孤立から絆へ〜』(稲葉陽二著、中公新書、2011年)を読んでみました。この本によるとソーシャル・キャピタル(社会関係資本)とは、「人々の置かれる人間関係によって大きく変わってしまうもので、周囲の人々との間に埋め込まれて存在している」(p.7)ものであり、「社会全体に対する信頼も含んだ概念」(p.10)です。さらに「地域社会の安定にも大きな影響力を持」ち(p.49)、「教育が社会関係資本を育むこともあるし、社会関係資本が教育に影響を与えることもある」(p.56)ものでもあります。う〜ん、この領域の初学者である私にはなかなか捉えにく概念であるということはわかりました。
 それが、他の本を読むうちに、なんとなくソーシャル・キャピタルの具体的イメージが持ててきたように思います(錯覚かもしれませんが)。まず、ホリエモンこと堀江貴文氏の『君はどこにでも行ける』(徳間書店、2016年)です。私がファンのヤマザキマリさんが表紙の絵を描いており、対談していることもあり買ってみました。というか、堀江氏が収監されている間に書いた本が面白かったので、続きを読みたかったというのもあります。氏は刑務所を出所して3年弱の間、30回以上海外に行って、28ヶ国58都市を巡り、その経験に基づいて本書を書いています。グローバリズムが台頭するなか、下り坂の日本にとって何が必要なのか、何に向き合えば良いのかについての示唆が得られます。とても当たり前のことなのですが、「グローバル社会を生き抜くには、英語力やITスキルなど特殊なアイテムがないと難しいというイメージを持たれているかもしれないが(もちろんあっても損はない)、本当に必要なのは、そういうツール的なものではない。もっと思考の深い部分での理解だ。人はみんな、『どこにでも行ける』という本質的な事実を理解すること」(p.10)と述べています。グローバル化のなかで、すでに私たちとつながっている国、世界。あとは自分のなかの「国境」を超えることだと堀江氏は言います。さらに衝撃を受けたのは、堀江氏が「約3年前からノマドになった。家やマンションを持たず、日本でも外国でも、基本的にはホテル暮らしで、自由に移動を繰り返している」(p.250)という事実でした。私にとって「家」は、根なし草の自分をこの世に留めておく安全基地なので、かなり驚きました。いろんな人がいるものですね〜。
 さらに驚いたのは、アフロヘアで電気を使わない生活で知られている稲垣えみ子氏の『魂の退社』(東洋経済新潮社、2016年)です。一橋大学→朝日新聞社というエリートコースをひた走っていた彼女が、50歳にして28年間勤めていた会社を辞めた経緯と心理が克明に描かれています。「50歳、夫なし、子なし、そして無職」(p.11)。「働くとは何か、生きるとはどういうことか、『会社』という強力な磁場を持つ組織から離れて一匹の人間として考えてみたい」(p.18)というのが動機です。このなかでほっこりしたのは、香川県の高松総局デスクに異動したときの話です。それまでの都会暮らしは美食や買い物と「欲望全開」の暮らしをしていたのに、高松に行ったらお金を使う生活からシフトチェンジをし、農産物の直売所で旬の野菜を仕入て料理を作って食べる生活。それを「ものすごく贅沢に感じた」(p.53)と言っています。新たな生活スタイルとのつながりがはじまりました。そして最後に「つながり」についてこんなふうに書いています。「一人の人間として、つながる。人を助け、そして助けられる。そんな関係を一から積み上げていけば、無職でも生きていくことができるはずだ」「明日のことはわからない。また会う人もいるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。しかし人生は一瞬一瞬の積み重ねだ。よき人を助け助けられつながる瞬間があれば、それ以上何を求めることがあろうか」(p.210)。今後も新しい生活スタイルのなかから、稲垣さんがどのような発信をしてくださるか目が離せません。

 そして最後は、平田オリザ氏の『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書、2016年)です。複数の人が「この本が良い」というので読んでみました。平田氏が書いたものは、先の堀江氏にも影響を及ぼしているようです。この本のなかでは、明治近代の成立と現代日本の対比が通奏低音となっており、登り坂の開化期と下り坂の衰退期の特徴を司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』の一節を用いながら随所で述べています。そして、「下り坂」にある現代日本における新しいつながり、新しい試みを提案しています。特に印象に残ったのは「第2章 コウノトリの郷―但馬・豊岡」の章で、市長の発想で城崎国際アートセンターという宿泊、滞在型のアートセンターを造ったことです。この施設の特徴は、短期的な成果を問わないため滞在中に作品を創らなくてもかまわない点、24時間の施設利用が可能なので、いつでも稽古に集中できる点、温泉が七つも揃っている点です。高校時代、演劇少女だった私がそのまま演劇を続けていたとすれば、ぜひとも使ってみたい魅力がある施設です。こんなふうに、日本各地の再生を必要とする地域で新たな事業を立ち上げ、人を巻き込んで、新たなつながりを創っていく試みがこの本には盛り込まれています。そして平田氏は最後にこう締めくくります。「競争と排除の理論から抜け出し、寛容と包摂の社会へ。道のりは長く厳しいが、私はこれ以外に、この下り坂を、ゆっくりと下っていく方法はないと思う」(p.236)、「そろろそと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮の寂しさに歯を食いしばりながら、『明日は晴れか』と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう」(p.238)。ちょうど、人生の登り坂も下り坂もわかる歳になった私には、この言葉の意味が心に沁みています。



         







 
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