大学教員の仕事の流儀
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ここでは日々取り組んでいる、多様な仕事の流儀について綴っていきます。



流儀その27「新しい環境での良いことと戸惑うこと」(2018/8/05)

 2018年4月から、新しく愛知県の大学に赴任しました。実は、職場としては6箇所目、大学では4箇所目なので、「転職慣れ」している方かもしれません。歳を取る毎に環境に慣れるのが大変とは言われますが、今回私にとってはスムーズな移行ができたといえるでしょう。一言でいうと「水が合った」のです。毎回、駅から大学に続く坂道を登るとき「これから、知のインキュベーション施設に行くんだ!」というワクワクした気持ちになれます。
 それでも、良いことと戸惑うことがあるため、赴任から4ヶ月目でちょうど夏休み期間に入ったところなので、この間のことを振り返ってみたいと思います。

 まず良いことを4つ。
 一つ目は、人間関係が広がったことです。もともと愛知県に10年住んだ後に東京に移ったので、当時の友だちが沢山いました。そこで、その方達と旧交を温めたり、新たなポジションで関係性を築いたりと、楽しい時間を共有させていただいています。それは、人だけでなく組織もそうで、以前働いていた岐阜県や住んでいた愛知県の団体との交流が再開したりしています。
 二つ目は、学ぶ場が広がったことです。スーパービジョンの科研費、医療福祉政策塾、地域包括ケア研究会と新たに3つの研究の場に携わることになり、それぞれに異なる勉強ができるため、刺激を受けています。それ以前から行っていた自身の研究や学会等の活動もあるため、相変わらずバタバタと日々を送っていることは変わらないのですが。。。
 三つ目は、生活の場が広がったことです。現在は愛知と東京の家を行ったり来たりの生活を送っており、2つの家の管理を行っています。また、2つの地域で生活をしているので、それぞれの恩恵にあずかっています。愛知の家はいささか田舎にあり、物価が安く、肉・魚・野菜が新鮮です。一方、東京の家は下町にあり、いろいろなものが瞬時に手に入りますし、公園も美術館も本屋も歩いて行けます。
 四つ目は、些細なことでも嬉しいことです。まだ関係性が弱い学生達と、徐々に話が出来たり関係性ができていく過程で、わずかなことでも喜んだり嬉しくなったりすることが新鮮です。これからもっと関係が深められる予感がしており、それがまた嬉しいのです。

 次に戸惑うこと。
 最大の課題は、まだ2箇所を行き来をするうえで、時間の使い方が確立していないことです。そのことにより、様々な現象が起こっています。
 まず、ほぼ研究に関する資料は東京に置いてあり、東京で何かをしようと思っても、それ以前に行うことがあり後回しになることです。また、なんだかんだと疲れているらしく、東京に戻ると気が抜けてぼんやりしてしまいます。
 次に、限られた日数の滞在を考えると、食生活の質が落ちてしまうことです。生鮮食料品を買っても使い切れないことを考えると、買う物を控えてしまうことがあります。また、もともとは料理や製菓が好きなのですが、愛知のキッチンが狭く調理スペースがないため、じっくり作ることができず、できあいのものやワンパターンになってしまうのも困ったことの一つです。
 そして、油断すると愛知でどんどん予定が入っていき、夜に連続で会議があったり週末に仕事が入り東京には1泊しかできなかったりと、『こんなはずじゃなかったのに。。。』という事態になってしまうことです。
 だからといって、東京に戻らないことや愛知に完全に引っ越してしまうという選択肢は、今のところありません。なぜなら東京の家が好きだからです。とても単純で主観的ですが、これ以上に強い理由はないでしょう。
  
 ということで、マイナス面もさることながらプラス面を楽しむという心境にスイッチし、もう少し時間をかけて新しい環境での時間の使い方を会得していきたいと思います。
 




流儀その26「卒業生と再会するとき」(2015/5/23)

 この2か月間で、、何人かの卒業生と再会する機会がありましたので、今回は学生が大学を巣立った後に教員と再会するのはどのような機会なのかをまとめてみます。
 
 その状況は、大きく3つに分けられます。
 一つ目は、卒業生に実習や特別講義を依頼するときです。今の大学の卒業生の何人かは、医療ソーシャルワーカーの仕事に就いています。そのため、その人の働く病院で実習を受け入れていただく機会が何度もあります。以前は、「学生と教員」という関係だったものが、「現場職員と教員」=「実習受け入れ側と送り出し側」として再会します。また、毎年、医療ソーシャルワーカーになった卒業生2人に大学に来てもらい、特別講義を行ってもらっています。
 学生時代のイメージが色濃く残る私にとって、立派な社会人となった卒業生の姿はまぶしく、頼もしい気持ちでいっぱいです。自分の年齢はさておき、相手の年齢を聞いて「もう○歳になったんだね〜」と驚くこともしばしば。学生時代には、「出世払いね!」とコンパでお金を出したりしていましたが、たくましく成長した姿を見せてくれるのが、私にとっては何よりの出世払いです。

 二つ目は、卒業生が挨拶に来たり、同窓会に呼んでくれたりと、向こうから声をかけてくれるときです。先日も、数年前の元男子学生が研究室にやってきました。研究室を訪問したいとだけ聞いていたので、『もしや転職の相談では…』と少々心配していたのですが、自分が勤める施設で管理者になった報告ということで、新しい名刺とケーキを持って来てくれました。このときは『教師冥利に尽きるなぁ〜』と思ったものです。
 また、結婚式のお誘いをいただくこともありますし、このごろはフェイスブックでお友達のリクエストをいただくことが多いです。本学部卒であれば、ゼミ生でなくても承認しています。フェイスブックでは、彼ら/彼女らの元気な姿に加え、新しい家族や子どもの姿も見ることができ、これまた楽しい機会がいただけています。

 三つ目は、意図せず出会うときです。私が研修講師をしているときに、「卒業生です」と声をかけてくれる場合が多いです。毎年、大学のある埼玉県で研修講師を行うので、そこで卒業生に会うことはもちろんのこと、先日は千葉県の研修でも会いました。
 これまた、ゼミ生や面識がある学生でなくても、とても嬉しいものです。本学の卒業生たちが、福祉の中核を担っていることがわかり、見えないつながりがあることを感じます。

 以上は再会するシチュエーションですが、一方で、残念ながら再会できないこともあります。
 まず、福祉の仕事(とりわけ医療ソーシャルワーカー)を辞めてしまい、教員に連絡ができない・連絡をもらえない場合です。相手が気まずさや顔を合わせることが嫌だと感じているときには、連絡はないようです。そのため、辞めたという情報は入っているものの『今はどうしているのかな…』と思いをはせることがあります。
 それから、居所不明になってしまったときです。他の卒業生も連絡先がわからず、どうしても連絡がつかない場合があります。それが、病気を持っていたりすると『生きているのだろうか…』という心配につながることもあります。
 そして、亡くなってしまったとき。昔、別の大学に勤めていたときに一人の卒業生が事故で亡くなりました。それは、とても悲しいことです。やはり、亡くなるには順番があると思います。親よりも先に子どもが、教師よりも先に学生が亡くなってはいけません。
 だから私は、よく卒業する学生にこんなことを言っていました。「絶対に自死だけはしてはいけません」。それから、寅さんの言葉を借りてこうも言いました。「生きていると、何度も何度も幸せと感じる時があります。そのために生きていってください」と。

 きっと教育は、4年間だけではすぐに結論がでない部分が沢山あるのだと思います。なぜならその後、自分なりに納得のいく長い人生を歩むことが最大の目標であって、大学時代だけで人生は完結しないからです。
 その時に、ふっと『大学時代にやったこんなことが生きているな』とか、『あの時に先生が言ったのはこれだったんだ』と、少しでも思い出してくれたらいいなぁと思います。また、具体的なことが思い出せなくても、大学時代の経験が生きるうえでの基盤になればいいなぁと思っています。





流儀その25「大学教員が他者に物を渡すとき」(2015/2/24)

 ヘンテコなテーマになってしまいました。なぜこのテーマでエッセイを書こうと思ったかというと、このホームページを見てくださる方の検索ワードとして「大学院修了 謝礼」が毎日のように出てきており、それだけ知りたいと思っている人が多いのではないかと思ったからです。そのため、あくまで「物をもらう」ではなく「渡すとき」です。

 大学教員は仕事上、どのような時に他者に物を渡すのでしょうか。いくつかのシチュエーションがあると思います。私が行ったことがあるものは以下のとおりです。
1.学生や同僚に対してお土産やそれに類したものを渡す
2.実習先やお世話になったフィールドにお礼を渡す
3.大学院修了時を含めてお世話になった教員にお礼を渡す
4.所属先やその他に寄付をする

 以下、順に見ていきます。
 1.については、一番頻度が高いといえるでしょう。まず、海外に行った際には必ずお土産を買います。その行先は、事務室と教授会とゼミ生達になります。日本国内でも、買っていくこともあります。
 またお土産ではなく、学生とのコンパでは以前は教員は1万円を出すというのが相場でしたが、今はそれはしなくなりました。学生共々一次会で解散となることが多いため、キッチリ3,000円なら3,000円出せば良くなったからです。ただ、教員が先に失礼する時もあるので、そんな時は「みんなで分けてね」と軽いお菓子を渡して帰ることがあります。
 そして同僚同士では、資料やお菓子の交換等は日常茶飯事にやっています。また、慶弔時にいくらか渡すことも日常的なことです。

 2.については、実習先への実習謝礼は大学から支払われるため、教員が負担することはありません。また、新しい実習先開拓のご挨拶には菓子折をもっていきますが、これも大学から費用が出ます。
 ただ、教員の個人的ツテでフィールドで調査・見学・実習・学生の就職の御礼をさせていただく際には、自費で菓子折を持っていきます。その際に気をつけているのは、先方の人数が何人かを把握し、個包装で賞味期限まで間があるお菓子を選びます。私の場合、有名店のラスクを持っていくことが多いです。
 また同時に、調査報告や実習報告の冊子をお渡しするのは言うまでもありません。

 3.については、修士課程の時、お世話になった先生の誕生日に絵本を渡した記憶があります。また、修了時にも確か院生全員で何かを渡したはずです。博士号を取得した時には、主査はお菓子を召し上がらない方だったので高級なお茶と論文を、副査4人には菓子折と論文を渡しました。
 もしかすると、お金(や商品券)を渡すという選択肢があるのかもわかりませんが、なんだかそれは相手に失礼な気がします。正規の学費を支払っているうえに、明らかに相手のほうが所得が上で、お渡しできるとしてもほどほどの金額。それよりも、心がこもっている品物のほうが良いように思います。
 また、退職される先生に記念品を贈ることもよくあります。私はこれまで退職するお世話になった先生方に、個人的にプレゼント+手紙を渡していました。

 4.については、たまに大学で○周年をする、建物を増築する等の理由で寄付を募ることがあります。そんな時にまとまったお金を支払うことがあります。以前、母校に10万円の寄付をしたら、同窓会報に名前が載ったことがありました。
 プライベートでは、毎月ユニセフ、国境なき医師団、あしなが育英会に寄付をしています。また、それ以外にもスポットで寄付をしています。

 こんなふうに、様々な場面で他者に物を渡すことがあります。そのため、けっこう「交際費」が嵩むかもしれません。ただ、他者に物を渡すか渡さないかは任意なので、行う人と行わない人が当然いますし、いて良いと思います。私は比較的財布の紐が緩めであり、ちょっとした物を渡す方が潤滑油になると思っているためやっているのです。
 もちろん、ただ物を渡せば良いということではなく、その前提となる気持ちが大事です。品物には、手紙やカードをつけたりのし紙をつけたりと、こちらの気持ちを表すサインを表すことも大切なのではないでしょうか。




流儀その24「学会への参加」(2014/12/01)

 流儀その10「全国の大学教員の集まり」を書いた2008年には、人みしりの私は全国の教員の集まりに出掛ける時にはドキドキして、いつも緊張していた気がします。特に学会に出掛けると決まって気遅れしたものですが、この間全国レベルの仕事をやったり、少し自信がついてきたことがあるせいか、ドキドキも気遅れもしなくなりました。以前より歳をとったことや、「鈍感力」が増したのかもしれません。
 昨日、一昨日も社会福祉学会に出掛けて、とても面白かったので、それが何に由来しているのかを考えてみたくなりました。


 まず一つ目は、自分自身の興味・関心が数年前より広がったことが大きいなぁと思っています。博士論文を書いている時には、狭く深く自分の関心を追求する姿勢であり、「目に見えない重石」を抱えていたので、四方八方に好奇心の食指を伸ばすことができませんでした。
 それが重石がとれた今では、「見るもの、聞くものが新鮮だなぁ」と思う余裕が出てきたのだと思います。そのため、学会で新しい知見に触れることは面白く、自ずと学会に参加するモチベーションも上がります。昔、知りあいの先生が「博士論文を書くと視野が一気に広がるよ」と言っていた意味が、ここにきてわかりました。


 二つ目は、全国の知り合いと再会したり、初対面の人との輪が広がる楽しさがあるのです。20年近く教員をやっていると、年々知り合いが増えていきます。今回も多くの人と再会したのですが、なかでも面識はあるもののあまり話したことがなかった先生方と、けっこう近い距離で話すことができたのは嬉しかったです。同じ研究者という立場で話してみると、以前から旧知の仲だったような親しみが湧いてくるのです。
 「お互いに頑張ってるね、これからも頑張ろうね」という連帯感が持てたのは不思議でした。


 三つ目は、自分のなかで「お祭り」に行くような気分があったからだと思います。今回、1日目にやりたいテーマで特定課題セッションを行わせてもらえたのが良かったし、それが終わった2日目には身軽な立場でいろいろな場所に行くことができました。
 ここ数年、いろいろな学会で何かしらの役割を担うことが多くなり、「やりたい」よりも「やらなければ」の意識が強かったのですが、今回に関しては「やりたいことをやる!」という幸せな状態でした。


 ということで、今回はかなり満足度の高い学会参加となりました。今回のような面白い学会に今後も巡り合えるとはかぎりませんが、これからも都合がつくかぎり学会には積極的に参加しようと思っています。




流儀その23「大学教員の昼食」(2014/04/07)

 「大学教員の昼食って、あなた、そんなの個々バラバラにきまってるじゃない!」という声が聞こえてきそうなタイトルですね。でもまあ、これも大学教員の仕事文化を伝える一環と割り切り、思いっきり個別の事例検討をしてみたいと思います。
 

 これまで私が勤めた三カ所の大学は全て埼玉県内であり、いずれも周辺の食事場所を探すのに苦労した覚えがあります。しいていえば二番目は県庁所在地にあった「比較的都会の大学」でしたから、まだ周辺にはいくつかの飲食店がありました。なので、たまにそこで食べることはありましたが、ほぼ大学内の食堂か研究室内で食事をしました。
 ましてや一番目の大学は周りにコンビニすらない場所、現在いる三番目の大学はコンビニが1つ、カフェレストランが1つという環境です。しかし、講義が連続して入る日は昼休みが短い(40分間)ため、優雅にランチを取ることは困難です。
 となると、選択肢は2つ。学生食堂を使うか食べ物を持っていくか。

 しかし、この学生食堂のメニューが実はかなりの曲者で、20代そこそこの育ち盛りの学生向けメニューが主流となっています。例えば定食の一つは、唐揚げと焼肉とキャベツとご飯1膳半程とデザート。いや〜、私の年齢では全くあり得ない組み合わせなのです。
 もうひとつ、教職員向けのお弁当も販売しています。これまたかなりのボリュームで、主菜が2品程(肉と魚など)と副菜が3品程、味噌汁、ご飯がつきます。500円なので値段はまずまずなのですが、消化酵素が少ない私にとっては毎回食べるのは大変…。
 

 ということでいろいろ試した結果、お弁当を作るか買って、研究室で食すことに落ち着きました。前はご飯も含めたお弁当を作っていったのですが(下部写真)、このところ慌ただしい日々+昼には温かい物が食べたい欲求が高まったので、おかずだけを持参し、研究室に常備してあるインスタントご飯(100g)と味噌汁を電子レンジで温めて食べる日が続いています。ちなみに、これまで一番印象に残った昼食は、ある先生の自宅でつくった里芋を、大学で温めて食べたことです。掘りたてのイモはとても美味しく、普段食べる1年分くらいの量をその時食べました!
 他の教員は、昼食は食べない主義の人、必ず学食で食べる人、私と同じようにレンジでチンする人等々、多様な食生活を送っているようです。でも、さすがに毎日、学生と同じ物を食べているという話だけは聞いたことがありません。



         




流儀その22「レポート添削」(2013/12/27)

 他団体の通信教育に関するレポート添削を依頼されることがあり、ここ数年、何十通のレポートを添削してきました。今年最後の仕事もレポート添削だったので、少し振り返ってみます。

 私が添削するレポートの多くは、他者が出した課題について書かれたものです。そのため添削を始める前に、まず出題者が何を意図してレポート課題を出したのかを吟味し、その範囲について本を読んで自分のなかに評価基準を作ります。
 そのうえでレポート添削を行うのですが、今回はこれまでとは違うやり方をしました。これまでは、ひとつのレポートを読んで評価をした後に次のレポートに取り掛かっていたのですが、今回はまず全てのレポートに目を通しておおよその評価尺度を決めてから、個々のレポートを再度読んで評価する方法にしました。
 この方が時間はかかりますが、全体的にバランスがとれる気がします。

 出題者が意図している課題を念頭に置いてレポートを読むと、どこがうまく書けているのか、どこが不足しているのかが直感的にわかります。「レポート全体の型を観る」といったかんじでしょうか。これは、査読論文でも院生の論文でも同じです。長年論文を読んでいると、直感的に論文の全体像をとらえることができ、添削箇所がわかるのです。
 A評価のレポートは、どれも忠実に課題に応えているだけでなく、まとまりがあり、読んでいてこちらがスッキリします。が、それ以外の評価のレポートは、「おしい!残念!」などと心のなかで呟きながら、評価を書きます。評価はまず良い面を評価したうえで、課題を指摘し、修正方向を提示します。
 レポートを介してしかその執筆者に触れることができないので、いかに相手に伝わる評価を書けるかがポイントになります。
 
 行ってみるとあっという間に終わるのですが、正直なところレポートの山が送られてきた時には、「少し面倒くさいなぁ〜」と後回しになりがちな仕事でもあります。
 今は、通信教育課程の学部や大学院が多く設置されているので、学生と教員との最大の接点であり媒介ツールがレポート添削だと思います。手は抜かず、相手に伝わる言葉で返答していきたいものですね。添削が終わってポストに投函する時の達成感を味わうのもまた一興です。
         




流儀その21「研修実施時のバディ」(2013/12/08)

 講演や研修会の講師を行う際に欠かせないのが、主催側の事務局との協同です。初めての機会であれば、講師依頼を受けてから実施までに、資料のやり取りや細々とした事務局との連絡を3回ほど行います。もちろん今はメールでのやり取りが主ですが、一回目はわざわざ研究室にご挨拶に来られることも少なくありません。

 そして実際に研修当日は、様々な形で動いていただきます。私の参加型研修ではいろいろなワークや動きが入るため、その都度それに合わせて参加者にマイクを回したり、机の位置を変えたり、DVDを流したり、デモンストレーションモデルになってもらったりと、事務局も大忙しです。偶数で行うワークに奇数人しかいなければ、中に入ってもらうこともあります。

 そんな研修実施時のバディでとても心強いのが、埼玉県社会福祉協議会のKさん。他分野の仕事をした後に県社協に入職されて研修担当になられたKさんは、最初の頃は人前で話すのに緊張されていたようです。でも瞬く間にとても貫禄のある主催者になり、今では心強い味方です。
 とくにありがたいのは、研修後に一緒に参加者の感想文に目を通しながら、「こうすればよかった、次回はこうしよう」と考えてくださることです。私はどんな研修や講義であっても必ず評価票には即座に目を遠し、自分の行ったことを吟味するのですが、それを一緒にやっていただけると第三者の目からの評価が加わるので、さらにできている点と改善点が鮮明になるので助かります。
 こんなふうに事務局の立場からの意見を交換しあいながら、講師とともにより良い機会にするにはどうすればよいかを考えてもらえると、よりスムーズで質の高い研修になるような気がします。

 これまでがっかりしたのは、ある大学の非常勤講習の際に、DVDを使うから前もって放映できるようにしてほしいと職員の人にお願いしたにも関わらず、本番でデッキが動かずにDVDが使えなかったことがありました。その際、急きょ別の内容に変更したのですが、それまでその職員は講師と一緒に研修会場で詰めていたにも関わらず、世間話に花を咲かせていてデッキの試運転などしないまま。まるっきり講師任せでした。だから言ったのです。「私は教育をする責任がありますが、あなたはきちんとその環境を整える責任がありますよね」と。
 まあ、こんなところに仕事に本気で取り組まない人に対する私の厳しさが出てしまうのですが、その翌年には、きちんとデッキが動くように整備してもらえたので良かったです。

 そんな感じで、飛行機を飛ばすのには飛行機に乗りこむスタッフだけでなく、地上で働くスタッフが必要なように、良い研修を行うには講師は良いバディとタッグを組む必要があると思います。           



流儀その20「大学教員になるためには」(2013/09/08)

 このようなホームページを公開していると、時々、面識のない方からメールの問い合わせがあります。先日は、「40代から大学院に行き、大学教員になれる可能性はありますか?」というものでした。その理由は「安定した職業に就きたいから」。う〜ん、なんとも回答に困る問い合わせでしたが、一応、私見をお伝えしておきました。
 この人事の諸事情が絡むテーマを取り上げることはこれまで避けていたのですが、この際なので考えをまとめたいと思います。といっても、私がわかる社会福祉に関連する一部の事情に限定したものであることを、おことわりしておきます。

 まず、よく聞かれるのは「大学教員には免許や資格は必要ですか」という問いです。形式的には「ノー」で小中高教諭のような教員免許は必要ありません。が、実質的には、大学院を修了し何本かの論文(いわゆる業績)があり、募集をしている大学の要件に当てはまること(例えば教育歴がある、現場実践経験がある、社会福祉士や精神保健福祉士国家資格を持っている等)が求められます。
 それでは、大学院修了とはどの段階でしょうか。昔は「修士課程修了」が多かったのですが、今は「博士課程修了もしくはそれと同等のレベル」が求められるようになってきています。というのは、社会福祉関係の大学院は2012年度の社会福祉教育学校連盟加盟校163校中、修士課程が設置されているのは72校、博士後期課程が設置されているのは39校※と、昔と比べて博士後期課程設置校が増えており、学界でも博士号を取得して研究職になるのが一般的になってきているからです。
 ただし、まだまだ社会福祉では修士修了で大学教員を行っている人は多いのが現状です。でも、今後は他の分野と同じように、博士号は取得したものの就職できない「ポストドクター問題」が増えるのではないかと懸念しています。

 社会福祉の大学教員への典型的なキャリアパスは、次のようなかんじでしょうか。大学院修士課程修了→博士課程修了→任期付き助教としての採用→任期無しの准教授としての昇格もしくは他大学での採用→教授。この間に、福祉現場での実践期間を踏む人も複数います。
 私の場合は、次のようなパスでした。大学院修士課程修了→現場実践→短大講師→大学院博士後期課程進学→博士後期課程中退→4年制大学講師として移籍→4年制大学助教授→他の4年制大学へ移籍→准教授→博士号取得&教授。
 社会福祉分野は現場実践が重視されるため、「現場実践数十年→大学准教授もしくは教授」、という道筋を歩んでいる方もいます。

 そして、このところ問題になっているのは任期付き教員の処遇についてです。多くの大学では、数年間の任期付きで助教を雇っています。というのも、一般的には若くて人件費が安い人を任期付きで雇うことで、任期がきたらまた若い人を入れて人件費を安く抑えることができるからです。また、昔ふうにいえばいわゆる「下積み」生活を送りながら、いろいろなことを学んで成長するステップとして位置付けられています。ただし、この任期付きは大学によっては助教に限らず、それ以上の職位でも適用されることがあります。そのため、期間が更新されるよう業績作りに寝食忘れて邁進しなければならないのです。
 困ったのは、今年の4月から労働契約法改正により、「有期労働契約が繰り返し更新されて、通算5年を超えたときは、労働者の申込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できるルール」が定められたことです。これは、一見、任期付き労働者にとっては素敵に見えますが、実情は5年で更新打ち切りとする事業所が多いのです。大学もその一つです。そのため、任期付き教員の処遇をどうするか、というのは焦眉の課題となっています。
 多くの任期付き助教は若手が多いため、雑多な仕事が降ってくるなか、研究業績をあげて任期が無いポジションに転身したいので、精神的重圧がのしかかっています。本当に、なんとかしなければなりません。数年で1本も論文を書かないような教員には、ぜひ早く別の道を探してもらい、有望な若手に席を譲っていただきたいと、切に願うばかりです。

※日本社会福祉教育学校連盟『大学院教育の現状把握のためのアンケート調査報告書』より
※※このエッセイを書いた後に、労働契約法における期限の上限が5年から10年に変わりました。



流儀その19「自己評価と業務マネジメント」(2012/11/19)

 このところ、8日間連続勤務が2週間続き、その合間の1日も持ち帰り仕事を自宅で行ったうえ、博論の修正要求が突きつけられるという、あまりにも慌ただしい毎日が続きました。そのため、いつも以上に毎日の生活で、体調を崩すことなく、いかにして仕事時間を確保するのかが大きなポイントとなっていました。そこで、それに関して気づいたことを一言。

 仕事が多い人にとって欠かせないのは、自分の能力の評価とそれを生かした業務のマネジメントです。
 自分の能力の評価は、過不足なく行わなければなりません。例えば、中程度の難易度の本は1時間で何ページ読めるのか、普通の小説なら何ページ読めるのか、一つの資料をまとめるのに何時間かかるのかということです。さらに、その作業をどれくらい集中して持続できるのかや、疲れや体調の悪さ等々を加味しなければなりません。教育場面でも同じことが言え、これくらいの量を話すと、どれくらいの時間が必要なのかを認識しておく必要があります。
 人によって、常に一定のパフォーマンスができるコツコツ型の人と、できる時とできない時の波があるけれども、行う時は徹底的に行うシュウチュウ型の人がいるようです。私の場合は前者なので、能力評価はしやすいのですが、後者の場合にはまた別の評価基準があるかもしれませんね。

 やっかいなのは、自分の能力に対して過大評価していたり、過小評価している場合です。本来は2時間かかる仕事を1時間でできると考えたり、3時間かかると考えてしまうと、スケジュールがずれこんでしまいます。
 私は自分の能力を過小評価する傾向があるので、目の前に課題が突きつけられた時に、妙に焦って重苦しい気持ちを抱えたまま取り組んでみたら、案外早く仕事が終わったことが多々あります。もう少し自分の能力の評価を変えなければと思いつつ、なかなかそこからは抜け出せないのが実状です。
 
 それらを知ったうえで、どの時間にどの仕事を行うかを考えます。仕事の内容によっては、数時間集中しなければできないものと、細切れの時間でも続ければできるものとがあります。それを峻別して、スケジュール管理を行います。
 例えば、研究論文の執筆・修正には、ある程度集中した時間が必要です。私の場合、今研究論文の修正に取り組んでいますが、修正度合いにもよりますが何度かの経験上、丸3日の集中した時間があれば本質的な変更が可能なことがわかりました。
 字句等の機械的な修正に関しては、集中した時間をとらなくても大丈夫なので、集中と細切れとのメリハリをつけながら取り組んでいます。

 ということで、「流儀その1 手帳活用法」で書いたように、常に手帳をにらめっこしながら、どの時間に何をやるかを考えながら毎日を過ごしています。今のところ、仕事を落とすことはないのですが、今後、ますます仕事が多くなるなかで慎重な業務管理が求められると、肝に銘じています。



流儀その18「高校訪問の7つ道具と心得」(2012/07/23)

 流儀その6に続く、「営業」に関することです。
 この季節になると、「高校訪問」という仕事が一つ増えます。学部執行部である私にとって、嫌でも行わざるを得ない肩の荷が重いもので、平たく言えば「営業」です。私立大学に在籍しているかぎり、避けて通れない仕事なのです。
 そして今日は2校に訪問し、自分としては2戦2敗の印象が強いので、その道すがら考えてきたことを綴って気持ちの整理をつけたいと思います。

 片道30分近くかけて暑い高校への道を歩いている時に、高校訪問の際の7つ道具は何かを考えてみました。
@パンフレットや入試情報等の大学側の資料
A高校までの地図
B訪問する高校の情報
Cスーツ
D歩きやすい靴
E名刺
F化粧道具・ハンカチ等の身だしなみを整える道具

 @は営業材料といえるものです。大学全体や学部独自のパンフレットに入試の詳細が書かれた冊子等をもっていきます。
 Aは方向音痴の私には必須アイテム。ただし、不動産屋の表示と同じく、高校のホームページの地図をそのまま信じては、時間通りに到着できないことがあります。今日も駅から15分と書いてある高校に到着するのに25分かかりました。
 Bは訪問先の高校の基本情報を得ておくことです。高校の理念や沿革、盛んな活動、進路状況等々は一通りホームページで目を通しておきます。
 CからFはいつもと同じですが、とにかく初めて行く場所でこの時期に歩きまわることを考えると、通気性の良い服装や歩きやすい靴、日傘は必須です。私はウオッシャブルの夏用スーツと、ウオーキングシューズのパンプスを愛用しています。また、先方に会う前には外見チェックは欠かせません。

 そして心得…といっても2戦2敗を自覚している自分としては、心得を話せる資格は無いも同然ですが、とにかく頭のなかで話の展開をシミュレーションしていくことです。何と何を話さなければならないのか、その高校の在校生はどのような様子か等々。
 しかし、それでも今日のように高校の玄関でちょっと立ち話をするだけ、ということがあります。そんな時も後に引きずらず、「自分が訪問したことで、きっと入試に良い影響がある」と期待をもって気持ちを切り替えること、それがきっと私には必要な心得なのでしょう。
 充実感のある仕事も充実感が得られない仕事も、全て仕事のうち。これからも続くこの仕事を、何とか割り切りながら行っていきたいものです。



流儀その17「大学教員の見た目年齢」(2012/06/22)

 流儀その2に続く、大学教員の文化に関するエッセイです。
 一般的に大学教員といって思い浮かぶイメージは、「年配で貫禄のある人物」が多いのではないでしょうか。というのも、年配のほうが安定感・安心感がある、あまり歳下の教員からは教えてほしくない、学問の道を志すには時間がかかる等々の理由があるように思います。
 かく言う私も、様々な場面で「もっと歳上に見られたらいいなぁ」と思うことがあります。普通にソーシャルワーカーを行っていれば、もうかなりのベテランの年齢ではあるのですが、大学教員のなかでは「中堅」、ともすると「若手」に分類されることもあるうえに、自称「童顔」のために若く見られることが多いのです(あくまでも自称!!)。

 先日も学生から「先生は最初32歳だと思っていたけれど、傷つかないで聞いて下さい。30代後半ですか?」と言われ、「いやいや傷つくどころか、あなたはいい子だね〜」という話になったことがあります。「先生はどんな歌手が好きでしたか?」の問いに「若い頃は松田聖子ちゃんが好きでした」と言ったところ、「ええ!?もしかしてうちのお母さんと同じ年代ですか〜」という驚きの声を上げられました。学生の個人票を見ていると、親御さんの年齢が私より歳下なんてケースはザラにあります。

 学生はまだ大人を見る経験が少ないので、30代も40代もあまり変わらないと捉える場合が多いようですが、やはり困るのは社会人相手の研修講師を行った時です。最初に書いた理由で、やはり歳上の大学教員に教えてもらいたい、というニーズが多いように思います。だから、私が登場すると困惑の表情になる参加者があります。そのため、研修ではいつも落ち着いた雰囲気の服装で、あえて年齢を感じさせるトークを入れたりします。例えば、「20年前に私が医療ソーシャルワーカーだった時に…」や、「昔のドラマでは恋人同士が白いブランコに並んで乗っていたのが定番でしたが…」など。

 そんなふうに、むしろ世間とは逆の形で、大学教員も見た目年齢を気にする職業の一つだなぁと、常々思っています。



流儀その16「はじめての書斎」(2011/11/05)

 新居に引っ越し、はじめて書斎オンリーの部屋を確保しました。これまでは、リビング兼書斎だったので、仕事をすることだけに専念できる部屋があることが、とても嬉しいです。
 そのため、今回は書斎の詳細をご紹介しましょう。
 
 コンセプトは、流儀12、14で書いた大学の研究室と変わりません。机があり、パソコンと周辺機器があり、本棚があり、CDプレイヤーがある。つまり、どこに行ってもこれらのセットは、研究や仕事に欠かせないものなのです。
 パソコン3台に外付けハードディスクが1台、プリンターが1台。本棚は今のところ6つ。置き場所がないため、極力自宅の本を増やさないように、研究室に持っていこうと思っています。しかし、置ききれない資料がすでに床のうえに…。
 音楽については、リビングにオーディオセットがあるのですが、もう1台簡易プレーヤーを買いました。先日、内田光子さんのコンサートに行き感銘を受け、やはりピアノ曲が良いとCDを大人買い。引き続きBGMはピアノ曲をかけています。

 家は南向きなのですが、書斎は北向きの部屋にしました。日中は南向きの部屋が暖かいので、ついついパソコンを持ってリビングで仕事をしてしまいます。が、身内からは「何か一つ書斎で仕事を完結したら、書斎がもっと身近になるよ」と言われ、それを目指している途中です。
 ということで、かなり新居を満喫しているこの頃でした。


 



流儀その15「大学教員の必要経費」(2010/02/26)

 なぜこのようなタイトルで書こうと思ったかというと、昨日確定申告に行ってお金のことを身近に感じたからです。
 大学教員の収入は、所属している組織からとそれ以外からとに分かれます。
 所属組織である大学からは、毎月の給与の他、たいていは研究費なるものが支給されています。ただし、昨今の厳しい情勢のなかで研究費はカットされ、外部からの研究助成を受けるように奨励される大学もあると聞きます。また、業績によって研究費が傾斜配分される大学もあるようです。
 
 そして外部からは、様々な仕事に応じた支払いを受けます。例えば、他の学校の非常勤講師の給与、研修の講師料や講演料、審議会や委員会に出席した場合の報酬、印税や原稿料等々です。
 給与以外は雑収入となりますが、本や資料の購入費や文具代、学会費等々の大学教員の仕事を行ううえで必要な費用は必要経費として認定され、確定申告の際に反映されます。
 毎年確定申告を行うと、追加で何万円か税金を支払うことになるのですが、その金額によって前の年にどれくらい仕事をしたのかを振り返ることが出来ます。今回は、これまでで2番目に多い支払い額になってしまい、「仕方ないなあ…」と思う一方、「こんなに仕事をしていたのか」と改めて実感しました。

 さて、一方使う方はどうでしょう。もちろんこれは個人の収入状況や価値観、生活スタイルで異なるでしょう。
 私の場合、仕事関係では本と並んで毎月最もお金をかけるのは通勤で使う新幹線の特急代です。職場からは乗車券分しか支給されないので、往復の新幹線代は自己負担です。でも、在来線で1時間10分かかるところが34分に短縮される魅力は大きく、どうしても新幹線に乗ってしまうので、月に数万円の負担は「必要経費」と割り切っています(ただし確定申告の際の必要経費とは別ですが)。そういえば遠方の大学に通う教員の中には、大学の近くでアパートを借りる人も少なくないと聞きます。

 また、大学から支給される研究費が足りない場合や競争的外部資金が得られなかった場合には、研究費は自分で支払うことになります。研究分野やテーマによって必要な研究費は異なります。
 私の場合は、基本的に文献+調査費用(旅費、謝金)を外部資金でまかなっていますが、外国への出張や長期のフィールドワークを伴うもの(知り合いの先生で一夏、動物の生態の観察のために外国に滞在する人がいました)、大規模な調査や分析作業を伴うものは、想像を超える経費がかかるのでしょう。
 いずれにしろ何かを行おうとすれば、お金と時間と労力は不可欠ですね。

 
※税務署の隣の東京スカイツリー(第2東京タワー)です。随分高くなりました。



流儀その14「新しい研究室」(2009/05/14)

 新しい研究室に引っ越して、すでに1ヶ月半が経ちました。なかなか快適な環境です。

 まず眺めがいいこと。6階にあるので、4月の初めには桜の木々が、今の季節は新緑の海を見下ろすことが出来ます。たまに鶯の鳴き声も聞こえます。
 それから、快適な環境にすべく諸々の物を入れました。一つはオーディオデッキ。毎日、ラベルやドビュッシーの流れる部屋で仕事しています。それからソファも購入。未だにそこで眠ったことはありませんが、体調がイマイチの時に横になれるかなと期待しています。極めつけは、お水セット。業者から借りたサーバーに買ったお水ボトルをセットして、毎日冷たいお水と熱いお湯をいただいています。
 そして、やはり明るいこと。研究室のドアにはガラスが貼ってあり、廊下から中が見えるようになっています。また、外の光がよく入り、前の研究室の暗さとは対照的です。
 
 そんな研究室で、学内の新しい仕事(役割)を初め、新たな調査研究に取り組み始めました。日々思うことは、人にとっての環境の大切さ。やる気が出るかどうかも、環境の影響が大きいことです。
 もちろんこの「環境」には、人的環境、社会的環境、自然環境等諸々が含まれますが、今回は特に「物理的環境が人に及ぼす影響」について、日々実感しています。







流儀その13「学生との距離のとり方」(2009/04/25)

 今でこそ、大学教員としては若すぎず歳をとりすぎずという年齢になったため、学生との距離のとり方も落ち着いてきたのですが、最初は距離のとり方がわからずよく失敗をしました。
 今回はそれについて取り上げてみたいと思います。

 今から十数年前に初めて短大教員として勤めたときには、まだ30代になったばかりでした。その頃の私は、何か困難に直面した時には、ソーシャルワーカー時代の基準に基づき判断をしており、教員としてのノウハウもアイデンティティもまだまだ弱いものでした。
 ある時、ある学生の勉学態度が思わしくないということで、母親を呼んで学生と一緒に合同面接を行ったところ、私一人で面接を行ったということで学科内で問題になり、学科会議の際に学科長より大声で怒鳴られたことがありました。親が同席する際には、必ず複数教員での面接が必要だったのです。
 また、家庭環境に問題を抱えていたある女子大生と毎週面接をすることにより、必要以上の依存関係を作り出してしまい、結局良い関係性ができないままに終わってしまったこともありました。
 そんなふうに、どうしても近すぎる距離感になりがちでした。でも、そんな私を慕ってくれる学生達は、「先生は今のままで変わらないで」と言ってくれ、それを心の支えにしながらやっていた時期もありました。

 さて、そんな数々の失敗を経験して、今では学生から「お姉さん」よりも「お母さん」と言われる比率が高くなっていますが、どちらかというと学生との距離は近い方だと思います。
 ただ、これまでの経験則に基づき、いくらかのルールを作り実践しています。
・学生と個人的には飲み食いしない。個別の学生だけを優遇したり「セクハラ」につながるために、誘われたらキチンと理由を話して断ったり、「うちのゼミコンパにおいでよ」と言ったりします。
・学生が相談にきた際には、何時まで大丈夫かの限界設定を行う。自分を受けとめてほしいニーズを持っている人は多々いますが、こちらも生身の人間であり、お互いの都合のなかで折り合いをつける必要があることを伝えています。
・「流儀その3」にも書いたように、深刻な場合には自分で抱え込まずにしかるべき人や部署につなげています。

 昨年度、上司にあたる人から最大の賛辞をいただきました。「学生との距離のとり方が上手。完全にシャットアウトしてしまうのではなく、踏み込みすぎず、絶妙である。教員ではなかなかいない」と。
 とっても嬉しかったけれど、「実は数多の失敗の上に今があるんですよ」とは言えませんでした。



流儀その12「これまでの研究室」(2009/02/15)

 もうすぐ、新しい研究棟へ引越します。これまでお世話になった研究室に感謝の意をこめて、振り返ってみましょう。

 これまで私は3箇所の大学で働いてきたので、3箇所の研究室で仕事をしてきました。
 最初の研究室は、教員2人の相部屋でした。ただでさえ慣れない大学という環境の中で、かなりベテランの教員と2人きりになると、緊張してほとんど仕事に集中できませんでした。互いに気を遣うのか、どちらかが研究室にいる時には、極力どちらかが席を外すという状態。本来の研究室の機能は果たせていなかったように思います。

 次の大学の研究室は個室でした。学生にも合鍵を渡し、自由に出入り可能。研究室にある本は貸し出しノートに書けば貸し出しOKにしました。常に駄菓子を置いておき、食べた人は補充するという、なんともおおらかな共同生活を送っていました。
 卒論の追い込みの時期には研究室に遅くまで残り、皆で仕上げをしました。最後の1週間は私は帰っていましたが、学生達は半分徹夜で残っていました。
 年末には、研究室のポットで作ったカレーでの忘年会も行い、今思えば活気ある面白い時代を送っていました。

 そして、今の研究室を使いはじめて、今年で4年目になります。今は学生達に鍵は渡していません。自分が学生だったら入りにくいだろうなと思う、クローズドな研究棟のなかにあり、外が見えない鉄の重い扉がついています。閉所恐怖症でオープンな雰囲気が好きな私にとっては、フィットしない環境です。でも、使い始めるとそれなりに愛着はわき、研究室の扉をあけるとやはりホッとします。
 そんな研究室とも、もう半月でお別れです。所狭しと本と資料とぬいぐるみがひしめき合っている部屋、窓から見える松林、とにかく仕事仕事で、早朝、深夜、休日と誰もいない研究棟に自分1人だったこともしばしば…。
 今度は、他学部の教員も同じフロアに同居するので、もう誰もいない真っ暗な研究棟に取り残されることはないでしょう。そんなほろ苦い思い出も一緒に引っ越します。
 いろいろお世話になりました!!



流儀その11「シラバス作成」(2009/01/26)

 期末の試験が終わると、次年度の授業計画を立てる時期がやってきます。
 その中心的な作業が「シラバス作成」です。講義のねらいや具体的内容、スケジュール、評価方法等を学生に示すためのガイダンス資料です。
 昨今では、授業への出席や定期試験、レポート等の採点比率は何割かという評価方法の内訳まで書く必要が出てきました。また、半期15回の内容が具体的に示されているか、それが実際と異ならないかについて外部評価も行われます。
 いわば、学生の学びの権利を教員がどのように保障するのか、学生と教員の間でどのような契約を交わすのかという「契約書」の役割を果たすものといえるでしょう。

 さて、そんなシラバス作成ですが、例年行っている講義については、マイナーチェンジですむことが多いのですが、新たに始める講義については一から作成しなければなりません。まさに今、その必要に迫られています。来年度から新たに開始する、大学院の講義と演習のシラバス作成です。
 頭の中で1年の流れが出来ていればいいのですが、何しろ初めての担当でイメージすら持てません。そんな時は、まずやりたいことを全て書き出します。そのうえで、順番を考え、内容を足したり引いたり…。
 さらに、この内容ならこの本や資料を使おうとか、ここでこんな話をしようとか、内容が簡単すぎやしないか等々やっているうちに、漠然と自分の中にイメージが出来てきました。

 しかし、シラバスはあくまでも旅のガイドブックにしかすぎません。実際は、受講生のニーズやレベル、雰囲気、さらにはその時々の学問領域の動向により、授業内容を臨機応変に軌道修正しながら目的地に到着することになります。
 そして、何度かそのような経験を経た後に、目の前の学生に伝えたい核心と周辺部分のメリハリがつけられるようになり、効果的・効率的に目的地に到達するための授業ができるのだと思います。これまでの経験では、そこに至るまでには3年ほどかかりました。
 ということで、新しい授業のシラバス作成時から、長い旅が始まります。



流儀その10「全国の大学教員の集まり」(2008/12/14)

 私はどちらかといえば人見知りで、初対面の人と会う前は必ず緊張します。また、学会やセミナー等の全国の大学教員の集まりがあると、どんな人が来るのかが気になります。
 というのも、私の中の「会いたくない人リスト」に名前が挙がっている数人の教員に会ったら嫌だなと思うからです。
 セミナーに申し込む時には、それに参加したい気持ちと誰が来るかわからないドキドキを天秤にかけ、参加したい気持ちが上回るときには勇気を出して申し込んできました。

 しかしその割には、比較的外の仕事をしているほうかもしれません。10年前から3つの団体の全国委員をやってきたからです。そのなかで私が成長したこと、学んだことをいくつか挙げてみましょう。
 やはり大きいのは、他大学の先生方とのネットワークが出来ることです。福祉の世界は決して広いとはいえず、初対面でも必ず共通の知り合いがいるのです。そして、他大学のシステムについての意見交換をしたり、情報をいただいたり提供したりという相互関係がすぐにできます。自分の大学だけに閉じこもっている「井の中の蛙」になることが避けられます。また、一度お会いすると数ヵ月後、数年後に学会等で会っても「顔見知り」という親しみがわきますね。
 それから、自分の視野が広がること。普通の日常生活を送っていては、せいぜい職場プラス身近な地域、頑張っても県レベルの視野しか得られないと思います。しかし、全国委員をさせていただくことにより、「全国を見る視野」を得る機会がもてるのです。日頃は全国レベルの活動とは縁遠いなかで、とても貴重な経験となります。
 そしてやはり、名前が出る機会があるためか、自分の存在を他大学の先生の目に留めていただく機会が増えることでしょうか。そこから研究や仕事の輪が増えることもあり、思わぬ出会いにつながったりもします。
 現在のテーマである「ソーシャルワーカーの成長過程の研究」も、そんな仲間との共同研究で生まれましたし、「高校福祉科卒業生のライフコース研究」も、先方から声をかけていただいたのがきっかけで始めたものです。

 ということで、本日の教訓は「少しぐらい負担があってもそれを上回る収穫があるので、全国の教員の集まりには出るべし!!」です。



流儀その9「卒論指導」(2008/11/12)

 いよいよ卒論の仕上げに入ってきました。12月中旬が提出締め切りなので、現在ラストスパートをかけています。できれば11月中に仕上げて、あとは社会福祉士の受験勉強に専念しようと、学生たちと話し合っています。
 わが学部は卒論は必修ではありません。そのせいか、4月当初は2桁のゼミ生が卒論を書く意志を表明しているのですが、5月の卒論テーマの提出、夏休み、9月と月日が流れるなかで、1人欠け、2人欠け…と、結局一桁になってしまうのが恒例です。
 それでも卒論を書く学生達は、悩みつつも自分なりのテーマと格闘しています。

 そんな卒論指導を行う際のスタンスがあります。それは、目の前の学生が初めて論文を書くことを念頭に置いて、徹頭徹尾、懇切丁寧に指導することです。
 もちろん、放っておいても卒論が書けるレベルの大学生もいますが、我が校を含めて多くの大学の学生は、「キチンと教育すれば伸びる層」に属していることを忘れてはなりません。そのため、「てにをは」やパソコン技術、先行研究の探し方、調査票の作り方、データのまとめ方、分析の仕方まで、全てを教えることになります。
 やはり研究論文をはじめて書く人にとっては、論文の書き方の本を何度も読むよりも、経験者からの臨機応変な指導によってやり方を身につけていくようです。

 おおむね指導はグループ添削の形をとります。卒論メンバーの数だけレジュメを印刷・配付し、報告を行い、それに対するコメントを教員とメンバーが行うのです。
 他者の進度がわかるだけでなく、1人の卒論でのコメントが、そのまま他のメンバーの卒論でも生かすことができるため効率的です。さらにグループ意識も高まるため、皆で支えあって卒論を仕上げようというモチベーションが上がります。まさに一石三鳥!! もちろん必要に応じて個人指導を行うことは、いうまでもありません。
 もうゴールテープは目前。今は、卒論を書き終え、社会福祉士試験が終わったら、スウェーデン料理のお店で打ち上げをすることを楽しみに、皆で頑張っているところです。



流儀その8「実習指導と巡回」(2008/10/20)

 今回は、社会福祉学部ならではの実習指導についてです。教員になってからは、ずっと実習を行う学科に所属してきたため、これまで100件以上の実習巡回を行ってきました。もしかするとこの件数は他校と比べて、少ないほうかもしれません。他校では1日5件巡回したという話を聞いたこともあります。

 実習巡回で楽しいことは、訪問した時の実習生のホッとした顔、元気な顔が見られること。そのうえ、施設見学もさせていただけることです。現場の状況に疎い私としては、かなり良い刺激をいただいています。
 一方大変なことは、多くの施設が交通の便の悪い場所にあること。車を運転しない私は公共交通機関を使うのですが、気がつけば1時間に1本しかないバスが出てしまった後だった、ということもありました。その時は不幸にも親知らずを抜いたばかりで、38度の熱をおしての巡回だったのですが…。
 それから人見知りのため、行く前は常にドキドキ緊張しています。
 でも、トータルで考えると実習巡回は好きな仕事です。というのは、やはり学生たちがどのような環境で学び、どのようなポリシーをもった人から指導を受けているのかがわかるからです。

 10年前にある短大に勤めていたとき、その短大には夜間部がありました。ある会社に雇われた地方から出てきた少女たちが、早朝から仕事に従事し、夜は会社が支出した学費で短大に通って資格を取るという形で、勉強をしていました。彼女達は人間関係を主とした様々な課題を抱えていました。そこで、私が所属する学科教員はその会社の状況を視察に行ったのです。私は彼女達の担任ではありませんでしたが、実習指導をしているためぜひともと志願して、行かせてもらいました。
 そして、その会社で見た彼女達が働く光景は、今でも忘れられません。『これは現代の女工哀史だ…』と、強く心に刻まれています。騒音と温風の吹き荒れる工場のなかで、18歳の少女達が朝5時に起きて仕事をするのです。寮も相部屋、学校に来ても同じ顔ぶれのなかで、独りになれる場所はトイレしかない状況。どこかで人間関係につまづけば、当然、学業にも響くだろうと思われる現状がそこにありました。その時、その人のことを理解するには置かれている環境を知らなくてはならないと、強く思ったのです。

 さて、横道にそれてしまいましたので、話を実習指導に戻します。
 現場の方と一緒に実習指導をするうえで、とても大切なポイントがあります。当然のことながら、連絡を密に取ることです。何かが起こった時には、できるだけ先方に足を運んでやり取りするのが一番です。慌しい状況の中でコミュニケーションの双方向性をいかに保つか、それが社会福祉学部の実習指導教員に課せられた最大の命題なのかもしれませんね。
 そして明日も、はじめての施設にうかがいます。文面で施設名を知っていることと、実際に行ってみて感じ取ることとでは、きっと雲泥の差があるにちがいありません。そんなふうに考えると、明日もまた楽しみです。



流儀その7「試験の採点」(2008/09/21)

 なんとなく気が重い仕事が試験の採点です。我が校は試験をしてから成績を提出するまでの期間が短く、200人以上が受験する試験が2つもある期間は、もう大変です…。
 でも、学生が真剣に取り組んでいるのに、こちらが手抜きをするわけにはいきません。そこで、採点上の留意点を少々。

 最も大切なことは、採点基準を明確にすることです。大抵は穴埋めと記述の問題を作ります。
 穴埋めの場合には記憶したことを書きこめばよいのですが、本来漢字で書いてほしいところを平仮名にしていたり、文字が1つ抜けていたりといろいろなパターンが出てきます。1問1点の場合、どんな場合に1点であり、0.5点なのかを決めておくことが必要です。当然のことながら同じ答えでも、ある人には1点、別の人には0.5点という不公平がないようにすることが求められます。
 記述の際には、もっと気を遣います。記述内容にどのような要素が含まれており、どれくらいの文章量であれば何点なのか、という説明できる基準を設定します。常に問題文には文章量を指示しますが…。
 要は、試験の作成と採点にも「説明責任」が伴うってことなのでしょうね。採点した試験やレポートは5年は保管するようにと、前の大学でも指導されました。

 しかしそれ以上に大切なのは、試験に耐えうる授業をすることなのだと思います。仮に全体的に点数が悪いとすれば、学生側の理解度を責めるよりも先に、まずはこちらが伝えたいことを明確に伝えられていたのかを振り返るべきでしょう。
 また、試験が難しすぎないか、やさしすぎないかという、難易度のコントロールも求められます。もちろん、自分が教えている学問に忠実であることと、目の前にいる学生の状態とのすり合わせのなかで、そのコントロールは行われていきます。
 実は、自分が行った授業の振り返りを行う一つの機会が、試験の採点なのですね。今日も一喜一憂しながら、採点に取り組んだところです。



流儀その6「営業、その難解な仕事」(2008/08/23)

 数ある大学教員の仕事のなかでも、私が最も苦手とするのが「営業」です。今日はオープンキャンパスがあり、数多くの生徒や親御さんと話しました。そんな話をするのは全く問題ありません。

 問題なのは、高校訪問。それも出張講義ではなく、純粋な大学の売り込みの場合です。多分、私立の場合は多かれ少なかれこの「営業」とは縁を切ることができないでしょう。
 特に、昨今低迷状態にある福祉系であれば、組織を存続させるためには不可欠な仕事です。職員だけが行う学校もあれば、我が学部のように教員が行うこともあります。

 自分は営業の何が苦手なのかを考えてみたところ、以下の3点が挙げられました。
・自分のことを積極的に語るのが苦手な私にとって、自分の所属先を売り込むことは気後れがする。
・初対面の人の前では人見知りするため、初めて会う進路指導の先生と話すのに緊張がともなう。
・ゼミ、相談場面、プライベートな場は大丈夫だが、フォーマルな場ではアドリブが苦手なため、相手の出方に合わせた対応が難しい。

 まったくもって、営業には不向きな性格です。
 先日も福岡で高校訪問をした際に、全くと言っていいほど上手に話せず激しい自己嫌悪に陥り、同僚の先生にメールで泣き言を送ってしまいました。
 でも、きっと営業のプロもいろいろと試行錯誤しながら技術を高めるのだろうと思うと、1回や2回の失敗でくじけていてはいけません。
 研究や教育的なことならメラメラと闘志が湧いてくるのですが、こればかりは困ったものです。きっと「苦手」だと思うから上手くいかないので、今度トレーニングのためロールプレイでもしてみましょうかね。



流儀その5「夏休みの過ごし方」(2008/08/07)

 なんだかんだ言いながらも、学校に勤務していると夏休みや冬休みという長期休みがある点では、恵まれています。でも、遊んでいるわけではありませんので、夏休みをどのように過ごすのかを綴ってみましょう。

 まず、自宅で研究をします。一昨年は調査旅行を行いましたが今年は基礎固めの年なので、原稿を書いたり、本の仕上げをする他、本や論文を時間をかけて読む予定です。
 また、外部研修の講師なども引き受けることがあります。

 そして、その合間に以下の4つの校務を行います。
 @実習巡回…社会福祉士の実習は秋ですが、私が担当している上乗せ実習は初夏から夏休みにかけて実施するため、巡回に行きます。この2週間で3回の巡回が入りました。大学や教員によっては、かなりの時間を巡回に費やす場合があります。
 Aゼミ合宿…今日までの3日間は3年ゼミの合宿でした。春休みには2,3年合同ゼミ合宿を行います。日頃ゆっくりと話せないゼミ員と話し合うチャンスです。
 Bオープンキャンパス…今年は担当でもあるため、8月には5回のオープンキャンパスに出席します。担当でなければローテーションで数回出席します。
 C海外研修の付き添い…8月末からの8日間、デンマーク研修に学生の付き添いで行きます。一見遊びのように見えますが、私にとってはやはり仕事です。期待はありつつも、責任が伴う気が抜けない時間でもあります。

 日頃は、内面にあるものをアウトプットすることが多いので、長期休みにこそいろいろとインプットしなければ前に進めません。100%のアウトプットのためには、数倍のインプットが必要になるため、とにかく充電あるのみです。
 もちろん勉強や仕事ばかりでなく、長編小説を読んだり、絵や映画を観たり、音楽を聴いたり、旅に出たりもしたいです。取り入れた知識や経験が全て教育で生かせるので、その点では助かりますね。


流儀その4「学内での連携」(2008/07/31)

 今回はソーシャルワーカーの仕事のようなタイトルになりましたが、大学内で教員の仕事を遂行するために、どのようなスタッフとどのように連携をとっているのかについて振り返ってみます。
 学外であれば、限りない人々や団体と連携をとりながら仕事をしています。学会や研究会、職能団体、出版社、講師依頼側、社会福祉現場、他の学校等々、数えたらきりがありません。それでは学内では?

 まず、常にお世話になっているのは学部事務の皆さま。教務関係、入試関係、出張の手続き、研究費の管理、各種委員会関係、人事関係等々あらゆる面で関わっています。何十人もの個性派揃いの教員たちに対し、書類提出の締め切りに追われながらも、日夜奮闘されています。
 それから、学部だけに留まらない全学の事務の方々。試験問題の印刷依頼や成績提出を行う部署、科研費の管理を行ってくださっている部署、教室のビデオが動かなくて連絡するとすぐに駆けつけてくださる部署、日々学内を綺麗にしてくださる部署の方々、ほんとお世話になっています。
 また、流儀その3で書いたように、面識はないけれども学生がお世話になっている学生相談のカウンセラーの方、健康診断の前後でお世話になる保健室の方、いつも美味しいお食事を準備してくださる食堂勤務の方、無理を聞いてくださる図書館司書さん等々、やはり数え上げたらきりがありません。
 もちろん忘れてならないのは、同僚や上司の先生方です。委員会や実習指導で一緒に仕事をしたり、時には一緒にご飯やお酒を飲みにいったり、「今日の会議は長かったね〜lとお茶を飲みながら一息ついたり、欠かせない私の仲間です。

 そんな教員や職員みんなで、学生を教育しサポートしているのが「大学」という場です。以前、すでに退職された先生が仰っていた言葉があります。「沢山の学生がいるから、私のところにつながっていなくても、誰かにつながっていればいいのですよ。学生もいろいろなタイプがいるから、自分にあった教職員を探すのも大切なことですもの」と。なんて大らかで素敵な言葉でしょう。
 多くの教職員と多くの学生が過ごす大学は、社会の縮図です。いろいろな学生が自分に適した環境を探し、創っていく「ゆとり」がここにはあるのです。


流儀その3「社会福祉相談と学生相談の共通点と相違点」(2008/07/24)

 なんだか論文のタイトルのようになってしまいましたが、今回は私が以前行っていたソーシャルワークの相談と、今行うことがある学生に対する相談について振り返ってみます。
 私のもとには、常に学生がいろいろな相談でやってきます。多い日は1日3人くらい、そのうち2人を泣かせたこともあります。(注:ここでは学生が感情を表出することを意味し、私が負荷を加えたわけではありません、念のため)

 そんな学生相談と社会福祉相談の共通点は、面接技術を駆使して関わることです。すでに面接技術は身についているため、ことさら意識して使い分けるわけではありませんが、気づくと「今、○○技法を使ってたな」と思うことがしばしば。それから、自己決定、自己選択の原則や、学生のペースにあわせて学生のいる場所から始める、というのもソーシャルワークと同じです。「相談」という点では、対象は異なれど全く同じなのです。

 一方、相違点は、継続的な相談はほとんど行わないことです。今は相談員ではないので、学習や進路以外の相談(家族のこと、自らのトラウマ等々)で1回で終わらない内容の相談は、学生相談室を紹介します。
 学習面に関しては、自己決定とはいえ、比較的指示的な情報提供をすることがままあります。興味はあっても何からどう学び始めたらいいのかわからない、自分の学習課題がよくわからないという学生が相談に来ることが多いので、具体的で詳細な情報提供を行うようにしています。
 進路についても、出来るだけ具体的な道筋を示すようには心がけています。とはいえ、実際に求人がこないと身動きがとれないことも多いのですが…。

 そして十数年間、教員を行うなかで見えてきたことは、学生時代特有(20歳前後)の発達課題があることです。そのうえ、学年によっても直面している課題は異なり、それぞれに合ったディレクションやサポートが必要です。当たり前のことですが、各人の能力によっても変わります。
 このようにみてみると、「教員の仕事も奥が深いな〜」と思いました。


流儀その2「服装」(2008/07/16)

 なぜ「大学教員の仕事の流儀」で服装?と疑問を持つかもしれませんが、このサイトでは大学教員の文化を伝えることも目的のためです。

医療ソーシャルワーカーの時は白衣を、老人保健施設の時には制服を着ていました。白衣に関しては「医者でもないのにどうか」という意見から、「白衣を着ているから若くても専門家として話を聞いてもらえる」という意見まで様々だと思います。
 それでは大学教員の服装は?答えは「決まった服装は無」です。男性ならスーツにネクタイが定番ですが、クールビズが推奨される今日ではノーネクタイも多いし、ポリシーなのかジーンズにTシャツのカジュアルな人も。

女性の場合は、お洒落な人が多いように思います。私の場合は、TPOによってレベルを変えます。外部への訪問、大学全体の会議、講演の際には正装であるスーツ。グレーや紺色が多く、講演では若く見られることが多いので、左手の薬指に必ず指輪をつけます。スーツを着ると「先生っぽいな〜」と自分でも思います。
 講義の際には、スーツよりはカジュアルなジャケット+スカートが主。高校生向けの説明会でも、あまり堅くならない服装にしています。

要はその職業の信頼感をかもし出し、かつ機能的であればいいのだと思いますが、大学教員の場合にはその範囲が広く個人の裁量権が大きいのでしょう。
 けれどもそれなりの守備範囲もあり、実習指導に携わる教員が、学生には髪は黒でと言っておきながら自ら金髪では説得力がありません。一度児童相談所の巡回訪問の際に、茶髪の色が落ちて金に近い髪で行ってしまい、職員の方に開口一番「先生、髪が黄色いですね!」と言われた笑えない過去があるため、髪の色には特に気を付けています。
 毎日、その日の気分にピッタリの服装を選ぶことが楽しみの一つになっています。


流儀その1「手帳活用法」(2008/07/12)

 日々の仕事を行ううえで、なくてはならないのは手帳です。全てのスケジュール管理を手帳1冊で行っています。手帳のメーカーは十数年間ずっと高橋。見開き12ヶ月分+1週間ごとのメモができるページ構成のものに限ります。

 まず、予定が入ったら1ヶ月の見開きページに書き込み、さらに予定の種類で色別にマーキングします。大学関係はオレンジ、研究関係はピンク、外部講師は水色です。
 さらに、各月ごとに行わなければならない仕事も月のページの空白に書いていきます。例えば2008年7月の課題は、学会論文の執筆と来月の講演の準備、教員調書の作成というふうに。
 そのため、研究日で大学に行かない日にもその日やることが書き込んであり、いつもスケジュールはギッシリに見えるのですが、実はそんなに忙しくはありません。
 
 また、ソーシャルワーカー時代からの習慣として、とにかくやるべきことは全て手帳のその日の欄に書き出し、その仕事を終えたらチェックを入れて消していきます。また、その日に出した手紙や電話をした人なども、備忘録のために書いておきます。
 だから、朝は電車のなかでまず手帳を見ることから始まります。
 出来事にもよりますが、スケジュールを逆算して、大体1ヶ月前を目処にいろいろな準備を始めます。なるべくまとまった勉強時間が取れるようにし、常にいつどこでどの仕事を行うかのシミュレーションをします。頭のなかで考えていることを、いかに早くパフォーマンスに移せるかで効率の良さが左右されるため、そのツールとして手帳を使います。

 そして一ヶ月が終わったら、その月に行った研究活動、教育活動、その他を書き出します。だれも評価をしてくれないので、自分で自分が行ったことについて振り返り、時には「先月はよくやったね」とプラス評価をすることも。
 そうして、毎日、毎月、毎年、自分が生きてきた証が積み重なっていくのです。


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