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今回は、感情について考える本を紹介します。


 岩川直樹著『感情のABC』、草土文化、2002年


内容

 私達は日々、色々な感情をいだきます。ポジティブな感情もあれば、ネガティブな感情もあります。とりわけ感受性が鋭い私は、自分の感情の対処に苦労するだけでなく、否応なく他者の感情も察知してしまうので、それに対応することに気疲れしてしまうことが多々あります。
 そして、生きていくかぎり、新しい感情に出会います。先日は「試練感」としか命名できないような感情に遭遇しました。言葉で表すのは難しいのですが、試練を背負う圧力と重苦しさ、それに立ち向かわなければならないという毅然とした闘志、どこかで『自分はやれるはずだ』というかすかな希望・・・。それらがないまぜになった気持ちです。
 でも、そんな新しい感情に直面するのも、なかなか味わい深いものがあります。自らの感情のレパートリーが増えるとともに、心の深みが増したような気になるからです。特に、ソーシャルワーカーをはじめとする対人援助職は、人相手の仕事ゆえに自分の感情だけでなく相手の感情への対処が求められます。そのためには、相手を想像するための、自らの感情の基盤を広げることが必要だと思うのです。
 今回は、そんな感情について考える本をご紹介しましょう。

 この本は、前の大学で同僚だった教育学者の岩川先生からいただきました。もう10年も前に発行されたものです。でも、今読み返してみても、様々な感情に関する新鮮な発見と刺激に満ちています。
 特に感じ入ったのは「感情のビジー状態」の部分です。感情のビジー状態とは、「勉強も仕事も手につかないような、自分の内側の感情が忙しいとき」(pp.90-91)です。そして、次のような解説がありました。「感情のビジー状態は、過敏だが鈍感なときだ。それは傷ついた指先でものに触るのに似ている。傷ついた指先は、紙にふれても布にふれても痛いだけ。それぞれの手触りの違いはほとんど感じられない。それと同じで、ムカツクにせよ落ち込むにせよ、いつも自分のダメージしか感じられず、その底にあるいろんな感情のニュアンスが味わえない。悲しさ、情けなさ、不安が感じ分けられず、ましてそこに交じるいとおしさや誇りや期待にきづくことはない。それは、過敏(sensitive)だが感受性が豊か(sensible)なときとは言えない」(pp.92-93)。
 時々、学生が「感情のビジー状態」になっている時があります。教師としては、温かく見守りながら、再び感情が落ち着く時を待つことも大切なのだと思いました。
 この本を読むと、どんな感情もキラキラと輝いてみえるようになります。


目次

脆さを見つめる強さ
嫉妬というモンスター
傷を知ること
ポジティヴとネガティヴ
息をする権利
ガマンでもキレルでもなく
涙がこわい時代
ゴーシュのプロセス
ほんとはみんなヘンなんだよ
もののあはれを知る
感情のビジー状態
それぞれの究極の二分法
悲しみからのアクション
非暴力の記憶
自分の矢



片田珠美著『なぜ「怒る」のをやめられないのか〜「怒り恐怖症」と受動的攻撃〜』、光文社新書、2012年


内容
 
 ソーシャルワーカーをやっていた時は、誰かへの怒りを自分にぶつけられることが時々ありました。それが他人への怒りだと、きちんと割り切れれば大丈夫なのですが、もしもその怒りをまともに受けて巻き込まれてしまったとしたら、自分自身が相当のダメージを受けるであろうことは想像に難くありません。そんな時、怒りのメカニズムを理解することにより、巻き込まれを回避できる可能性が高まります。この本は、そのような学習に役立ちます。
 今回読んでみて、私にとっての新しい学びは「受動的攻撃」についてでした。受動的攻撃とは、「『積極的(active)』に攻撃を仕掛けるわけではなく、むしろ「消極的(passive)』に攻撃する手法である。つまり、何かを『しない』『与えない』『忘れる』といった拒絶的な態度によって、怒りや敵意を間接的に表現するわけである」(p.9)。このくだりを読んで「そうか、あの人は私に対して受動的怒りを向けていたのだな」と思い浮かぶ顔がありました。そして、「受動的怒り」を放置すると別の形で現れるという、なんとも恐ろしい実例がいくつも挙げてありました。
 だからこそ、相手にきちんと怒りを伝える必要があるのですが、その方法としては以下の部分が役立ちます、「怒りの原因になったことについて、その(1)行動、(2)解釈、(3)感情、(4)影響、(5)希望の、五つの要素を整理して伝えることが必要になる」(p.242)。
 なかなか怒りを伝える場面は多くはないけれど、いざとなった時には怒りを爆発させたり、飲み込んだりするのではなく、相手に伝わるやり方で伝えられるようになるといいですよね。これからも参考にさせていただきます!


目次

はじめに なぜいま、「怒り」、……とくに「ゆがんだ怒り」を取り上げるのか?
第1章 抑圧された怒りはどこへいくのか?
第2章 自分自身に向けられる怒り
第3章 受動的攻撃……こそこそと怒りを表現する人たち
第4章 なぜ怒りを直接出せないのか?
第5章 怒りの応酬、怒りの連鎖
第6章 処方箋……怒りをそんなに怖れるな
おわりに




パム・スミス著、武井麻子・前田泰樹監訳『感情労働としての看護』、ゆみる出版、2000年


内容
 
 私は常々、ソーシャルワーカーは感情労働を行ってるなぁ、と思っていました。けれども、ソーシャルワーカーの感情労働について十分に論述された本がなかったので、看護師の感情労働の本を読みました。
 まずそもそも感情労働とは何かということですが、この本のなかではホックシールドの定義を紹介しています。「明るく親切でしかも安全な場所でお世話されていると他者に感じてもらえるような外見を保つために、感情を出したり抑えたりすること」(p.8)です。
 そして、看護学生の実習を例にとり、感情労働の実態を述べています。例えば、病棟には病棟において感情面で何をなすべきかという「感情ルール」というものがあり、そのルールは看護の仕事と組織の構築の責任者である病棟師長が決めているというのです。学生達は「自分の感情が病棟の感情ルールによって正当なものと認められない場合、その学生はそうした感情を感じることに対して、ストレスや不安を感じます。そのため学生たちは、病棟という公のアリーナで、実際とは異なった感情的自己を示すよう感情ワークを行う」(p.97)というのです。
 果たして、ソーシャルワーカーはどうなのでしょうか。ちなみに、Gerdes and Segal(2011:141)※は、共感的なソーシャルワークはより効果的であるとし、ソーシャルワークにとっての共感の重要性を再評価しています。共感することにより、ソーシャルワーカーがクライエントの感じていることを自身が感じるようにすることで、クライエントについて多くを学ぶためです。感情労働と言ってよいのかはわかりませんが、このようなソーシャルワーカーと感情との関係は、もう少し深めたいところです。
Gerdes,K. and Segal,E. (2011) Importance of Empathy for Social Work Practice : Integrating New Science,Social Work,56(2),141-148.

 

目次

第1章 序論
第2章 世間の水につかる―ケアを担う看護婦を選抜し、テストし、そして期待する
第3章 ケアについてはまったく何も語られない―看護の知の定義づけ
第4章 患者の具合の悪いところから学ぶ―看護の仕事の定義づけ
第5章 病棟婦長と感情ワークの基礎構造―病棟での感情ワークを目にみえるものにすること
第6章 病院で死ぬこと―究極の感情労働
第7章 ケアリングの軌跡―ケアリングのスタイルと能力の時間にともなう変化
第8章 結論




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