今回は、風のように人生を駆け抜けた同級生の思い出です。 |
彼は、今まで私が出会ったことがないタイプの男の子でした。
愛媛からやってきた彼は、冬でも靴下をはかず、歯も磨かない。下宿から大学までの十数キロの道のりを、どんなに風が強くても雨が降っていても、自転車で通っていました。
田原俊彦の物まねが上手で、運動神経が良く、同じサークルで勉強会をした時には、鋭い意見をズバッと言う人でした。
本当に、生命力の塊のような存在でした。
私達はしょっちゅう議論をし、ご飯を食べて、よく遊びました。
ある時、床屋に行くお金が無い彼の髪を、私が根拠の無い自信のもとに切りはじめたら、どんどん短くなってしまい、最後は丸刈りにしてしまったことがあります。その時、彼から「ワシの人権はどうなるんじゃ」と抗議されました。
今振りかえると、二十歳前の男の子にとって、丸刈りはきつかっただろうと思いますし、本当に申し訳ないことをしました。
今でも覚えているのは、彼と友人と3人で、大学から数キロ離れた野間崎灯台に行ったことです。ゴツゴツした岩場にある白い灯台は、青い海と青い空の間でよく映えていました。
何をするわけではないけれど、灯台まで行って、海辺を歩いたり、駆けたり、お話したりと、まるでドラマに出てくる「青春」そのものの時間を過ごしたのです。
そんな彼は、大学2年次に突然大学をやめてしまいました。自分の進路に迷った末の決断だったのでしょう。
その後、京都の大学に編入したとの吉報が舞い込んだのですが、次に同窓会で会ったときには、靴下をはき歯磨きをする男性に変わっていて、驚きと同時に少し寂しい気がしたものです。
そんな彼についての便りは、その後もたまに伝わってきました。
京都でタクシー運転手になったんだって。
悪い病気に罹ったらしいよ。
何年か前に亡くなったよ…。
生命力の塊のような彼がなぜ、こんなに早く亡くなってしまったのでしょう。訃報を聞いたとき、生命についての不条理さを感じずにはいられませんでした。本当に、風のように駆け抜けた生涯でした。
今はもう生きてはいませんが、真っ青な海と真っ白な灯台の立つ野間崎や、仲間達が喜んだり悲しんだりしたキャンパスに、確かに彼はいました。私や仲間達の心の中にも、その存在を刻み込んでいきました。
そして、これから先も私達の心の中で生き続けることでしょう。
(2009/01/08)
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