研究活動についての雑記帳 本文へジャンプ
研究者としては道半ばの私ですが、これまでの研究活動のなかで気づいたこと・考えたこと・身につけてきたことを、ここでは綴っていきます。




File.19 シンポジウム (2014/11/30)

 
 日本社会福祉学会第62回秋季大会が終了しました。本大会の1日目に、特定課題セッション「ソーシャルワーカーを目指す学生の省察を促す実習後の演習を考える」というテーマで、コ―ディネーターを行いましたので、振り返る意味でシンポジウムについて考えてみたいと思います。
 これまで私は、数回のシンポジストを経験したことがあるのですが、今回は初めてコ―ディネーターを行ってみて、両者の間に異なるコツ(ノウハウ)があることを感じました。

 まずシンポジストの場合。求められるテーマについての報告と、それに対する質疑応答、議論への参加が必要です。この場合、どこまで自分に与えられたポジションでの役割をこなすことができるのか、で勝負が決まります。 
 自分のパートに関しては声に出しての準備を何度か行えば、報告自体はスムーズに行きます。最もハラハラするのは質問の時間です。とりわけ、自分にしか答えられない質問というよりも、シンポジスト全員に問われる抽象度の高い質問が投げかけられた場合に、どのように答えるのかが迷うところです。以前のシンポジウムでは1つの質問に明確に答えられず、私だけ「パス」をしてしまいました。そんな時、後々「なんでその時に答えられなかったのだろう」と気になってしまいます。
 あるいは、質問されて頭真っ白になりながら、なんとか答えを絞り出した時の後味の悪さ。。。まあ、これは口頭発表でも同じなのですが、必ずその後の「一人反省会」の時に反省点にあがる部分です。

 次にコ―ディネーターの場合。実は、こちらのほうが難しいことを今回行ってみて実感しました。
 今回のセッションの流れは、今年の2月くらいに行いたいテーマと趣旨を学会に申請し、複数の応募者のなかから選ばれる必要があります。その後、そのテーマで報告したい人を募り、応募者多数の場合にはコ―ディネーターが数名の選定を行います。ここまでは学会で定めているところ。
 その後、私は以下のことを行いました。複数の報告者と事前に何度もメールのやり取りを行い、セッションのイメージを共有します。コ―ディネーターの趣旨を伝えつつ、各人が発表予定の資料を事前にメールで送付し、それぞれに意見を伝え合いました。そして、セッション前日の夜には顔合わせ兼打ち合わせをしました。
 さらに、当日配布資料の準備をしました。学会からは、当日配布資料80部の持参をするようにとのことでしたので、私が配布する5部の資料を準備しました。そのうち1つは数十ページの冊子で、それは学生にアルバイトで100部印刷してもらいました。また、別の資料として学会誌に掲載された論文の抜き刷りを100部準備しました。このための費用としては数万円の出費。これらの資料をスーツケースにパンパンに詰め込んで会場へ。

 さて2時間半の本番です。私の主観的判断では、シンポジウム全体としては3人の報告者の選定と報告内容、会場からの議論の内容はA評価、一方、私の采配はB評価です。その内訳は、報告者の報告と会場からの質疑への応答でかなり時間が過ぎてしまったことと、その後、会場に対して議論を深める投げかけが十分にできなかったためです。きっと、ここにコ―ディネーターの難しさがあるのだと思うのです。オーケストラの指揮者のように、各報告者の良いところを引き出しつつ、議論をまとめ、会場を巻き込んでいくことが求められるのですが、正直なところまだまだその域に達しませんでした。

 そんな反省材料はありながらも…実は私自身は、とっても刺激的な時間が持てて面白かったのです!!
 1年近く前からコツコツと準備してきて、かつ、学界(会)に「演習教育研究の風を吹かせたい!」と思っていた私にとって、ある意味「自己実現」の場でもありました。置かれている立場やバックグラウンドの異なる報告者やフロアの方々が集まり、持っているものを結集することで、より立体的で豊饒な知の創造が行えることを目の当たりにしました。「これはやみつきになるかも」というのが実感です。
 そしてなによりも、大御所の先生方のシンポジウムが別室で行われているなか、雨にも関わらず集まってくださった方々にひたすら感謝です!持ってきた100部の資料のうち、94部がなくなっていました。
 次にまた機会があれば、今回の反省を生かして今より評価があがる「指揮」ができたら、と新たな目標を持ちました。知のダイナミクスに魅了されてしまった私は、きっとまた数年後に新たなセッションを立ち上げることでしょう。
 



File.18 査読者・指導教員の質 (2014/06/26)

 
 この間、査読者の質について考えさせられることがあったため、一筆書くことにしました。
 査読は、 「File.5  論文査読」に書いた投稿論文の査読や、大学院生の修士・博士論文審査の際に行われます。その際、どのような査読を行ったのかにより、査読者の質が問われます。

 査読者の質の問題とは、論文の形式に関する指摘はできても、実質的な内容に関する査読ができない、もしくは「教育的な査読」ができない査読者がいるということです。
 例えば、論文の多くが「修正後再査読」になることがあるのですが、その際にどのようなコメントが付されるのかで、査読者のレベルがわかります。「てにをは」レベルの指摘しかできていない、査読者の価値観を一方的に押し付ける、初めに指摘していなかった新たな修正点を指摘して「再々査読」にする等々。いずれも正当な査読とは言い難いでしょう。特に、査読者の価値観を一方的に押し付けられるのは困りものです。投稿者は査読者の言うがままに修正しないと採用されないのではないか、という不安を感じながら意に沿わない修正を行うことになるからです。「生殺与奪権」を査読者が握っているような状態は、アカデミックハラスメントに結びつきますし、「教育的な査読」とは言い難いでしょう。
 たぶん、そのような査読をする人は、自身が査読を受け慣れていないか、研究の視点を持ちあわせていない人なのだと思います。

 なかでも厄介なのは、それが大学院の指導教員の場合です。学会誌であれば、万が一採用されなくても、別の学会誌に投稿したり、再度修正して投稿しなおすことが可能です。しかし、大学院生の場合には、高い授業料を支払っているのに有効な指導が受けられず、院生自身の研究能力が高まらないというケースが往々にあります。かといって、研究テーマの都合でなかなか指導教員を替えられないこともあります。またそれ以前に、院生自身が「これが指導だ」と、偏った指導を受けても疑うことを知らない事態を招いてしまっては、後進の育成という点からも問題があります。
 つまり、査読者・指導教員の質が評価されないため、偏った査読・指導が横行している可能性があるのではないかということです。

 やはり、査読者・指導教員の質が評価されるシステムを作るべきであり、彼ら・彼女らも「現役」としてどんどん学会誌等に論文を投稿して査読を受ける側の感覚を持ち続けることが大切だと思います。
 私も、今回久しぶりに査読論文を投稿し、査読される側として査読者のコメントを読んだところ、実に多くの気づきがありました。そして、「査読者の質は大事だなぁ」と思い至ったのです。
 私も複数の学会で査読をしていますが、研究の質向上のために査読システムはあり、決して査読者のストレス発散や考えの押し付けのためにあるのではない、ということを肝に銘じてやっていきたいものです。



File.17 大きな山を越えた後の研究活動 (2013/09/06)

 
 博士論文を書いたことがある人に聞くと、多くの人が「もう博士論文は見たくない」と口をそろえて言います。ギリギリまで頭とエネルギーと神経を使い、疲れてしまうからだと思います。「2年くらいはゆる〜く生活した」と言う人もいました。
 かくいう私はどうなのか。博士論文を見たくないという気持ちはなく、終わった直後から出版の準備をはじめ、9月の学会には出版する予定にしています。
 

 でも、大きな目標がなくなってしまったのは事実です。バーンアウトとまではいかないけれども、かなり気が抜けているし、「今はあれだけ根つめた研究活動はできないなぁ」というのが本音です。
 そのかわりと言ってはなんですが、いろいろなテーマに取り組むようになりました。
 まず、今年度から4年間、私が代表で科学研究費補助金をいただき「医療ソーシャルワーカーの業務継続中断を規定する個人と環境との相互作用に関する研究」をはじめました。これは、博論で取り上げたリーダー格のMSWと対極にある、途中でMSW業務を中断した人達の詳細を明らかにする試みです。
 次に、日本・アメリカ・イギリスのソーシャルワーク教育の比較研究です。これも前から取り組んでいた日本社会福祉教育学会の指定研究の一つで、私がチーフを務めています。
 また、ソーシャルワーク演習教育のあり方研究にも取り組んでいます。これは、昨年の11月に立ち上げたソーシャルワーク演習研究会や、外部の研修での参加者アンケートに基づき、演習の効果測定をしようという試みです。
 そして、これはまだ取り組み始めたばかりですが、「福祉系大学における園芸療法の効果と課題についての研究」です。大学で実際に作物を育てて、それに学生や近くの老人ホーム利用者、幼稚園児達を巻き込んでいこうという取り組みです。

 こんなかんじで、ざっくばらんにいろいろやっています。それでも、前ほどモチベーションが上がらないことを友人に話したら、「今はいろいろなことをやりながら、本当にやりたいことを見つければいいんだよ」と言われて、とてもホッとしました。
 いつも全速力で走っていたら疲れるから、たまには速度を落としてもいい。たぶん自分にとってはそんな時期なのかもしれません。



File.16  私にとっての研究休暇の意味 (2012/03/23)

 2011年3月31日から2012年3月31日までの研究休暇も、残すところ1週間になりました。そこで、私にとってこの研究休暇はどのような意味があったのか、総括をしようと思います。

 研究休暇に入る前は、漫然と「休みには研究をするのだろうなぁ」と思っており、その反面「研究ができずに無為に日々を過ごして、1年経ってしまったらどうしよう」という一抹の不安も、心のどこかにありました。
 しかし蓋を開けてみるとそれは杞憂で、自分でも驚く程の加速度で走っていました。とにかく、ひたすら書いて書いて書きまくり、博士論文本体(200数十ページ)とは別に、日の目を見たものもお蔵入りになったものも含めて、研究テーマに関する7本の小論文を書きました。それ以外には、研究テーマに直接関連しない調査報告2本と、科研費報告書1冊分を書きました。学会発表は計4回です。

 その結果、どのような変化があったか。
 一つ目は、学会誌に投稿することを恐れなくなりました。
 とにかく私が提出する大学院の論文博士の基準である「過去5年以内に主要学会誌・研究誌(社会福祉学会誌、ソーシャルワーク学会誌、社会福祉研究、ソーシャルワーク研究)に3本の査読論文掲載が必要」というタフな基準をクリアするには、躊躇していては始まりません。書いては出し、書いては出しの繰り返し。これまでも何度も投稿して査読付き論文として採用されてはきているのですが、査読付きならどんな雑誌でも良いわけではないため、かなりハードな日々でした。
 一度、不採用だった時には、2,3日は呆然自失の日々でしたが、それで立ち止まるわけにはいかず、またスーパービジョンを受けて書きました。またある時は、焦りのあまり小論文を2本書いたものの、発想が枯渇していて論文の質が低いことに気づき、「こんな点数稼ぎの論文じゃ駄目だ」と、投稿しなかったこともありました。
 それでも投稿し続けてきたため、自分のなかでの学会誌に投稿する心理的敷居が低くなったことは確かです。

 二つ目は、自分のなかの学問的認識が向上したことです。
 というと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、ほんの少しだけレベルアップしたという感じです。休暇前にチラチラと見た本を休暇後半に読んでみたら、新しい視点・新しい認識のもとで、解釈できるようになっていました。
 つまりこれまで以上に、概念や書いてある内容の理解がスムーズにできるようになっていたのです。
 また、自分の研究と関連のある部分だけだと思いますが、知識の構造化・ネットワーク化が進み、研究的視野が広がった気がします。
 そのため、以前読んだ本をまた読んだ時にどんな発見があるのだろう、という楽しい好奇心も芽生えてきました。
 さらに、研究とは直接関係しませんが、自分の専門以外の本も読む時間があったために、その点でも視野が広がったのかもしれません。

 研究以外にも、この休暇中に様々なことを行いました。
 やはり一番大きかったのは、製菓の勉強です。
 1年間、20回コースの学校に通いつつ、自宅でも毎週のようにお菓子を作り続けました。高校生の時に「ケーキ職人になりたい」という夢を一時期持っていた私にとって、職人にはなれなかったけれども、とても充実した面白い機会でした。
 これまで、仕事と研究しかしてこなかった私にとって、本格的な趣味といえるものができました。これからも、折々に作っていこうと思っています。
 
 二つ目は、家を買って引っ越したことです。
 長年の賃貸生活から脱し、かなり交通の便の良い場所に住むことになりました。引越に際して、インテリアの調和をはかったことや、引っ越してから以前よりも随分丁寧に家事を行うようになったため、「暮らしの感覚」が増したように感じます。
 仕事や研究を行うにも、まずは「暮らし」あってのこと。今後も元気に生きていくうえでの、自分の基盤を作った1年でした。暮らしという点では、日々の散歩を行って体力を作ったことも大きかったです。

 三つ目は、フィンランドに行ったことです。
 これまで、何度も北欧に足を運んできたのですが、フィンランドは今回が初めてです。かつ、今回の旅行は自分の心身のコンディションが最高に悪い時に行きました。そのため、現地では何度も失敗し、帰ってきてからも数日間寝込んでしまうという、散々な状況でした。
 それでも、そんな失敗談も今となっては今後への学びになりました。今回、どん底の海外視察だったため、次回はその教訓を生かして、必ずやより良い視察にすることができる、という妙な前向き姿勢が生まれたためです。近い将来、こんどは最高の視察を実現させなければなりません。

 研究休暇をふりかえって総じて言えることは、何十年かの人生のなかで、「最も」と言っていいくらい充実した1年だったということです。そのため、4月からの職場復帰にとても前向きです。「もっとあれをやれば良かった」と後悔していたら、「もっと休暇が長ければ」と思ったでしょう。でも全くそう思わないのは、完全燃焼したからだと思います。
 それもこれも、このような貴重な機会を与えていただいた職場のおかげです。来年度は、ひたすら恩返しをする予定です。
 また、諸々の活動の原動力としては、まぎれもなく震災の影響がありました。震災の後に、他者にではなく自分に「頑張れ」と言うことを決意したからこそ、活動が続けられたのだと思っています。
 今年度1年間は、私にとっては一通過点です。まだ論文の結果は出ていないし、来年度以降のさらなる教育・研究の充実も課題です。そして何よりも、研究休暇でなくても「悔い無し」と言える日々を送り続けることこそが、最重要課題なのです。



File.15  勉強に専念するということ (2011/06/03)

 2011年3月31日から1年間の研修休暇に入り、毎日「一人合宿」状態で論文執筆に取り組んでいます。
 そこで、「勉強に専念するということ」について書くことにしました。
 
 今、毎日、8時間は勉強を行っています。といっても、ぶっ続けはきついので、午前中に勉強し、昼間は全く別のことをして、夕方から夜にかけてまた取り組むというかんじです。
 そしてこのようなリズムで勉強をしていると、自分の限界がわかるようになってきました。1日に9時間やる日もあるのですが、そうすると翌日疲れが残ってしまい、かえって勉強できなくなるのです。また、気持ちのうえではもっとやりたいと思うこともあるのですが、8時間で打ち切っています。
 なんといっても継続が大切なのですから、できる範囲で続けていくことを守っています。

 そして、勉強を続けるために、生活を勉強に専念できる内容に変えました。
 まず、規則正しい生活を送ること。夜は12時前に寝て、朝は7時には起きる。朝起きたら、いつでも外出できるように身支度を調える。
 次に、体力をつけること。毎日、朝散歩したり、昼間に歩いたりして、1日に1万歩を超えるように動いています。もちろん、肩こりと体重増加防止も含まれています。週に1度は、太極拳も行っています。
 そして食事に気をつけること。外食する機会がほとんどないため、自分で栄養のバランスを考えて作るのですが、ほとんど野菜とタンパク質中心の食事です。ドクターストップもあり、お酒は飲みません。
 最後に、必ず目標を叶えるという強い意志を持つこと。ずーっと取り組んできた研究をまとめる、その一念です。

 ここにきて、ようやくゴールテープが見えはじめてきました。といっても、その先にまだ2、3本のゴールテープが張ってあるのですが…。第一のゴールを目指して、さあラストスパートです!!


File.14  テープ起こしのコツ (2010/05/10)

 今さらテープ起こしのコツというのもどうかと思うけれども、今そんなことを行っているので、気づいたことを備忘録的に書いておきます。

 私が一番最初に長いテープ起こしをした記憶は、今から20年前の大学院生時代のことでした。大学院の記念
イベントがあり、ゲスト講師のお話についてテープ起こしをしました。確か、B5で50数枚の分量になった気がします。録音機材もカセットデッキの時代だったので、しょっちゅうテープを流しては止めての繰り返し。一体何日かかったのでしょう。苦労の割にはアルバイト代が少ないなぁ、などと思ったような気もします。

 その後、インタビュー調査を行う機会が多くなり、その都度ICレコーダーで録音させてもらい、終了後にはテープ起こしをしました。けれど、初期の頃は大意をつかむ程度にしかデータを再現しておらず、今から見ると厳密性に欠けていたなあと思わざるを得ません。
 現在行っているテープ起こしは、一言一句、間投詞まで再現する形なので、かなり実際のインタビューに近い形でのデータ再現が出来ています。

 そんなテープ起こしのコツとしては、以下の点が挙げられます。
・ゆっくり目に話す人の場合には、極力レコーダーを止めずに話す速度で打っていく。早めに話す人の場合には、出来るだけ文末まで聞いてから一文を再現する。パソコンを打つ速さと短期記憶が鍛えられる。
・不明な単語がある場合には、チエックのみして後でまとめて聞き返す。とにかく先に進む。
・何度か新幹線の中でテープ起こしにチャレンジしたが、聞き取りにくく効率が悪いためにテープ起こしには向いていない。やはり静かな環境で行うにかぎる。
・2時間通しで行うと、集中力と聴力が低下して聞き取れない単語が多くなるので、そうなる前にやめる。実はかなり集中力を要する作業なので、まとめてやってしまおうと思わずに小まめに時間を作って行った方が、効率が良い。
・テープ起こし自体を業者に依頼することも出来るが、質的研究の場合には自分で行ってデータになじむことが大切。

 そんなかんじで、今日もコツコツやっていました。疲れた〜。


File.13  研修の実施 (2009/08/06)

 File.7「研修会の準備」では研修実施までのプロセスに焦点を当てたので、今回は研修実施について焦点を当ててみます。というのは、この間、立て続けに長時間の研修講師を務めてきており、整理するべきポイントがいくつかあるからです。

 その1:どのような層を対象にした研修かを明確に意識し、その人達のニーズを想定した目標と内容にすること。
 可能であれば、主催者側から研修に望むことについての声を事前に集めてもらい、それを把握できればいいですね。といっても、幅広い層を対象にした研修ではニーズや理解度もまちまちなので、最大公約数的にニーズを満たせる範囲で行い、少し難易度が高い内容と少し易しい内容を組み合わせるというやり方もあります。

 その2:時間管理をしっかり行うこと。
 ワークを多く取り入れる私の場合には、いつも「研修進行表」を作り、細かい時間設定をしています。ただし、参加者の取り組み具合を見て、想定した時間よりも長くなることがあるため、往々にして「予定は未定」になりがちです。そんな時は、端折ってもいい部分とそうしてはいけない部分を、臨機応変に分けながら行うようにしています。
 研修中は、常に時計とにらめっこしながら(ただし参加者の前ではさりげなく)取り組んでいます。

 その3:一方通行にしないこと。
 研修後に必ず参加者同士が振り返ったり質疑応答をする時間を持ち、双方向の時間にした方が深く学べると思います。現場実践者対象の継続研修では、毎回の研修の最後に「振り返りシート」を書いて提出してもらい、次の時間に質問に答えたり意見を紹介しました。それにより前回の復習ができるだけでなく、参加者がわかりにくかった点が把握でき、次回に補足説明ができる利点がありました。

その4:講師は堂々とすること。
 昨日、私は「まな板の上の鯉」となり、全国の大学教員に演習の教授法を教えました。演習教授の年数は長いとはいえ、私よりも教員歴が長かったり、歳上だったり、業績がある先生方が何人もいらっしゃいます。そんな方たちに対しどのようなスタンスで臨めばいいかは、いささか迷いました。その結論は、堂々と自然に振舞うことでした。教える側がオドオドしていたら教えられる側も不安だろうし、同じ教員仲間として気負うことも卑下することも無いので、いつものようにやりました。
 研修講師のスタンスで一番嫌なのは、「昨日は飲みすぎまして…」「仕事が忙しくて十分に準備ができませんで…」等と言い訳をしたり手抜きをする人です。そんなふうに言えば、何か失敗をしても大目に見てくれると勘違いしているようですが、参加者の大切な時間を共に過ごすのであれば、講師は常に真剣勝負をしなければならないでしょう。

その5:研修後の評価を受けとめること。
 この頃は、ほとんどの研修でアンケート等の研修評価を実施するようになりました。99人が良いことを書いていても、1人が辛らつなことを書けば、講師としてはかなり傷つき心に残ります。授業評価を含めて、私にもそんな経験は山のようにあります。
 それでも評価を受けることは大事です。顧客である参加者がどれぐらい満足したのか、どのようなニーズが満たされて、また満たされなかったのか、それを把握することは当初の想定がどれだけ的確だったのかを判断する材料になります。そして、次回にむけての改善点を見いだすことができます。

 そんなこんなでいろいろと書いてきましたが、研修講師としての力量も工夫次第で伸ばすことが出来ます。そしてもしかすると一番大事なことは、研修講師を引き受けすぎないことかもしれません。準備と実施にそれなりの時間がかかるので、本分である研究時間がとれなくなるようなら、ほどほどにするのが正解でしょうね。自戒をこめて…。


File.12  研究モード1・2・3 (2009/06/08)

 毎日コンスタントに研究活動が出来れば、今頃もっと優れた業績があげられただろうな・・・と思うことがありますが、現実はそうはいきません。つまり、波があるということ。
 日によって、月によって、年によってバリバリと研究に取り組める時があれば、全く手がつかない時もあります。
 そんな研究モードのレベルを3段階に分けてみました。

 レベル1:ほとんど研究を行わず、仕事のみをこなす状態。昨年度の下半期数ヶ月はほぼこの状態で
       した・・・。最大の原因は校務の忙しさにあり、1日休みがあっても疲れて集中できなくなって
       しまうのです。また、使わないと頭の回転と集中力が鈍ります。

 レベル2:研究のための準備をしたり本を読んだり、間接的に研究に関わる状態。もしくは、ゆるやか
       に研究に取り組む状態。多くの時間は、このレベルなのかもしれません。それでも、こんな
       時に読んだ本や論文が、いつの日か蓄積されていくので実は大切な時間でもあります。

 レベル3:本気モードで研究に取り組む状態。研究日には、朝机に向かい気がついたら1歩も外出せず
       に夕方になっていたというかんじで、今がまさにこの状態です。今年度に入り時間が出来た
       ので週に2、3日はこのような生活を送っています。おかげでまとまった何かができる反面、
       慢性の肩こり・目の疲れに悩まされています。

 プロスポーツ選手も成績が良い時期と、スランプに陥る時があります。スランプかと思いきや、次のシーズンには華々しい活躍をする場合もあります。きっとその裏では、血のにじむような努力をしているのでしょう。 研究活動とスポーツは違うかもしれませんが、一朝一夕で成果が上がるわけでないことは、きっと共通していると思います。
 本来なら、いつもレベル3ならいいのですよね。でも、そうならないのが痛いところ。それでも続けていくことが大切なのでしょう。


File.11  業績管理 (2009/03/11)

 面と向かって他の先生に聞いたことはないけれど、「皆どうしているのだろう〜?」とちょっぴり思うのが業績の管理方法。そのため、今回は私がどのようにしているのかを綴っておきます。

 著書、論文、研究発表、その他の仕事をした際に、「業績一覧」を書き足していきます。私は2種類の「一覧」を作っています。

 一つは、上記の分類に従いタイトルのみを書いたもの。隣のページの「これまで行ってきた研究」にあたるものです。これは、そのままインターネットサイトのRead研究者情報に移行できますし、毎回Readに登録しておけば、どこからでも自分の業績が確認できるのと同時に、不意に履歴書を作る必要がある時でも見ることができて便利です。
 また、自分が行ってきた研究の傾向が一目瞭然なので、これまでの総括と今後の方向性の検討にも役立ちます。

 もう一つは概要入りの業績書で、大学への就職や昇格審査の際に求められるものです。わが校では定期的にこの業績書の提出が求められます。
 概ね200字程度の研究概要を書く必要があるのですが、これがうっかりして概要を書くのをサボっていると面倒なことになります。ある日、たまっていた概要を書かなければならなくなり、『あの時の共同研究者の口頭発表の内容って何だっけ?』という事態が生じます。
 一番良いのは、その都度小まめに業績書に書き足していくことでしょう。でも慌しい日常で、気がついたら書いていなかった…なんてこともしばしばです。

 いわゆる研究能力には、研究をする力だけでなく、業績管理も含んだ自らの研究環境の整備も含まれるのだと思います(ただし、手伝ってくれる人がいる場合を除く)。
 研究を続けていくかぎり、業績管理は切っても切れない仕事ですね。


File.10  研究を続けるということ (2008/12/21)

 昨日の大学院ゼミで、指導教員が院生達に「1日に5分でも10分でもいいから、机に向って研究をしなさい」と仰っていました。私自身、この言葉に大いに共感するところがあるため、今回は研究を続けるということについて書いてみます。

 私が本格的に研究活動を始めてから、まだ10年しか経っていません。学部からストレートで進学した大学院修士課程を出た後は現場の仕事に没頭し、短大の教員になってからも最初の1年目は仕事に慣れるので精一杯、2年目は博士課程の受験勉強に明け暮れていました。そんな生活のため、本格的に論文を書き始めたのは博士課程に進学した3年目に入ってからでした。
 最初は、論文を書く作業は自分にはとてもハードルが高いように思われました。生半可なものは書けないというイメージによる縛りもあり、身動きがとれない状態だったともいえます。また、今後研究者として生きていく確固とした覚悟が出来ておらず、グラグラした状態だったのかもしれません。それ以前にも修士論文や報告書の類はいくつか書いていましたが、自分の研究能力に自信がないのが正直なところでした。

 でも、博士課程では毎年1本の出版物と1回の学会発表が義務だったので、否応なく書かなければならない状態に追い込まれました。「エンパワーメント志向のソーシャルワーク教育」のテーマで、とにかく外国の論文を集めては辞書を引きまくって読み、文献レビューをまとめて考察を加え、最初の論文に仕上げました。今から思うと論文の出来はともかくとして、研究枠組みを作るうえで必要な基礎的作業を行えたことは良かったと思います。
 その後、大学院を中退せざるを得なくなり、研究テーマも「ソーシャルワーカーの成長過程」に変えたりして、細々と研究は続けてきました。

 さて、そんなかんじで10年間研究を続けると、自分の中でどのような変化が起こってくるのかを書いてみましょう。
 まず身近なところでいえば、文章を読んだり書いたりすることが楽に出来るようになることです。それを職業としているのだから当然といえば当然ですが、今はパソコンに向うことが楽しみでもあります。だから研究の息抜きで、こんなエッセイを書いたりしています。
 研究に関する論文を読んでいなくても、常に何かを読み(もちろん好きな小説も含めて)頭の中に一定の刺激を与えています。読むのが好きなだけでなく、完全にオフ状態にしてしまうと戻るまで時間がかかることがあるからです。

 次に大きな変化は、自分のなかに関連する分野や知識に関する見取り図ができたことでしょう。これは「認知の星座」と表現されることがある事柄で、物事と物事の関連性の整理がついて一つの体系化された知の認識ができることを意味します。そのため、新たに関連知識を勉強した時に、この知識はこの事項と関わっているからこの「引き出し」にしまえばいいと、理解が早くなりました。
 そのようなフレームワークがあるために、本や論文を読んだ際に構造の理解がしやすくなり、一つの論文全体のバランスや「課題」が一目でわかるようになりました。しかし、これは良いことばかりではなく、院生指導を行う際にどうしても要求水準が高くなりがちなので、反省しているところでもあります。

 最後に、綺麗に言えば「研究への情熱」、赤裸々に言えば「研究への執念」が高まることです。すでに若かりし頃と違い、腹を括って研究を続けている身にとっては、いまさら他の道への選択肢があるわけではなく、かといって今の状態のままでは自分に満足できず、もちろん未解明のテーマを解明したいという欲求もあり…というような雑多な感情がないまぜになり、前に進む原動力になっております。

 「考え続ければ必ず見えてくる、見える瞬間がある」と、大学院時代に先生から教わり、心のどこかでその言葉を頼りにして遅々とした歩みを続けています。


File.9  科研費申請 (2008/10/22)

 あっという間に、また科研費(独立行政法人日本学術振興会の科学研究費補助金)申請の季節がやってきました。今日、申請書を提出し終えたばかりなので、今回は科研費申請について綴ってみます。

 一般的に大学教員には、学内の研究費が支給されます。金額は学校により様々ですが、他大学の話しを聞くと30〜40万円が多いようです。ところが、昨今の財政難や教員の研究促進、大学の競争力の増進のために、科研費をはじめとする外部資金の獲得が奨励されたり、学内での研究費をもらうためには科研費に申請することが義務という大学も出てきました。
 我が校はまだそこまでではありませんが、支給される研究費だけでは研究活動が難しいので、私はずっと科研費の申請を行ってきました。過去2回は代表者として獲得したのですが、昨年は申請するも採用されず、どうしても捲土重来を期することを誓ったのです。
 ところが、この申請書はトータル16ページもある「細かい作業+高い質」が求められるものであり、生半可には書ききれません。今回は念には念を入れて書き、通算40回くらいは推敲しました。またもや集中した作業でヘトヘトになりながらも、これで駄目なら現時点の自分の研究能力が及ばなかったと素直に認められるほど、納得のいく申請書が書けました。

 さて、その過程で何人かからいただいた作成のアドバイスと、自分が感じたことを挙げてみましょう。一言で言えば、徹底的に読む側の立場で書くということですが、細分化すれば以下のようになります。
・結論は最初に明確に書き、回りくどい書き方をしない。
・研究目的や方法のページには小見出しを入れたり、予算欄では数字の末尾の位置を合わせて、見やすく整える。
・誤字・脱字、引用文献の間違った表記が無いようにする。
・研究内容・方法は可能なかぎり具体的に書き、すでに着手していることは洩れなく書き込む。
・現実の計画に見合った堅実な予算にする。等々…

 そして大切なのは、「面倒くさい」「競争率が高いからどうせ採用されない」等の「言い訳」をやめ、持てる力を出して書き、後は結果を待つことだと思います。
 先日、常勤の教育職ではない人と共通の知人(4年制大学の助教)について話しているとき、その人は「僕が申請したくてもできない科研費を取得し、バリバリ研究をしてくれよと彼に言ったんです」と話していました。この話を聞いた時、『そうだよな〜』と妙に納得したものです。せっかく申請できる権利があるのに、申請しない人のなんと多いことか…。
 もちろん科研費だけが全てではありませんし、申請するかしないかは本人の自由です。そして、いくら時間をかけて念入りに申請書を書いたとしても、8割は採択されないというシビアな現実と否応なく直面させられる補助金でもあるのです。


File.8  研究環境 (2008/08/12)

 研究は自宅で、仕事は大学でと分けており、本日は研究室でもある自宅の大掃除を行いましたので、研究環境について振り返ってみます。

 我が「研究室」に不可欠な物は、@パソコンとプリンター、A本や雑誌、B音楽です。
 @当然のことながら、パソコンで原稿を書き、資料を作り、メールをし、このようにホームページを更新しています。1日たりともパソコンを使わない日はありません。それ程お世話になっており、また眼精疲労の原因になっています。研究日には、たいてい朝8時頃からパソコンに向かいます。プリンターが故障をした時には同種の物と取り替えてもらえるので、便利です。

 A自宅には本棚がいくつかありますが、収納できない資料は押入れの一角を占めています。研究室にも研究以外の本は置いていますが、やはり収納スペースが足りません。学会誌や研究誌は溜まる一方。
 今日、部屋の片づけをしましたが、なかなか本は捨てきれないのが実情です。本当は研究室にある雑誌を家に置いておくのが理想ですが、収納の都合上そうできないのが悩ましいところです。

 B相当レベルの作業(考察を書く等)以外では、BGMを流していることが多いです。大体はピアノ曲で、GEORGE WINSTON やANDRE GAGNON、久石譲、フジ子・ヘミングを聞くことが多いです。
 集中力への導入剤のような感じで、気がつくといつの間にかCDが終わっていることはよくあります。現在のBGMはオリンピック放送です。

 前の大学で、ある先生の研究室には観葉植物や熱帯魚がいて居心地の良い場所だったため、「この研究室はいいですね〜」と言ったところ、「1日いる場所だから過ごしやすくしないとね」と仰っていました。
 その基準に照らし合わせて今の研究室はどうかを考えたら、かなり快適なことに気づきました。丸1日、部屋から出ない日も珍しくないほど過ごしやすいのですが、その分、自分のオタク傾向は進むのだろうなと、密かに危惧している今日この頃です。


File.7  研修会の準備 (2008/7/29)

 今回は直接的な研究活動ではなく、研修会の準備についてです。というのは現在それにかかりきりのため。常にリアルタイムの雑感なのです。
 今度の研修はソーシャルワークのインテークとアセスメントが焦点で、それも5時間。これまで行ってきた講演・研修会のテーマには該当せず、初めてのチャレンジです。

 資料を作る際には、まず研修の流れがイメージできるくらいにそのテーマについてひたすら勉強します。今回は特にアセスメントについて沢山の資料に目を通しました。和書・洋書・テキスト・研究書、これまで買っただけで「積読」の本を開いてみると、けっこう使える情報と出会えて嬉しくなったり、勉強を進めるにつれて情報量が多くなり自分でも整理がつかなくなったり…。20冊、30冊の本を見るなかで、最も自分のイメージにあった資料やわかりやすい図表を探します。

 イメージが出来たら資料の構成を考え、章立てにそって書き込んでいきます。どこに図表を入れたら効果的か、どのような比喩を使えば相手に伝わるかは、書くなかで具体化できます。その作業の中で重要なのは、やはり対象に合った内容になっているかどうかでしょう。いくらこちらが時間をかけて準備をしても、内容が伝わらなければ意味がありません。
 そこで今回は、研修対象と同じ領域のソーシャルワーカーに資料を見てもらい、アドバイスをもらいました。「この資料はわかりやすいけど、この資料は○年目のワーカーを混乱させるだけだから辞めたほうがいい」と具体的にアドバイスしてもらい、大変助かりました。

 資料を仕上げた後は、当日の運営のマネジメント。講義と演習の時間配分をどうするかを決め、最終的には声を出してシミュレーションします。上手く説明できないところがあれば自分の理解不足であり、さらに勉強が必要です。
 ただでさえ人前で話すのが得意ではない私が、ましてや初めてのテーマに挑戦となると、当日緊張することは目に見えており、それに対処するには事前の波長あわせと、微に入り細をうがつ準備しかありません。
 そんなふうに周到に準備をしたつもりでも、当日やってみると「イマイチ」だったりすることも。研修も学会発表と同じで、相手との間で展開される「生きた過程」なのですよね…。そんな時は、「君はまだ精進が足りない」と1日落ち込み、次の日からはまた元気になります。


File.6  仕上げ (2008/07/20)

 本日、1本の論文の仕上げ作業と本の校正を行ったので、そこでの私のやり方について一言。
 仕上げ作業は、全工程のなかでもジワジワと満足感がこみ上げてくる、蜜月の時間です。自分の作品に念入りに最後の磨きをかけ、納得のいく仕上がりにします。

 論文の場合には、たいてい一旦執筆した後に、熟成させる時間(論文を寝かす時間)を数日から数週間持ち、頭がリフレッシュした頃に、再度読みかえして推敲します。
 1本の論文を書き上げるまでに数十回はプリントアウトした原稿に赤ペン添削を行い、そのプロセスの一つとして10枚程の原稿を横一列に並べて全体のバランスを見ます。そうすることで頭でっかちになっていないか、不足しているパーツはないかを点検するのです。

 本の場合には、とにかく一気に全体を読みます。今日も200数十ページのゲラを数時間かけて読みました。それにより、「File.1 編集作業に思うこと」でも書いたように全体のトーンの調整ができるからです。
 また、本の仕上げでは表紙の装丁やタイトル決めなど、いかに魅力的で手にとって読んでもらえるものにするのかを考えて決めるのが楽しいですね。

 これらの仕上げ作業は意外に時間がかかるので、それを考慮に入れて執筆することが大切です。
 かなりせっかちな私としては、締め切りギリギリまで執筆することは心理的に苦しくなるのでありえませんが、そこは人それぞれのペースがありますので、いすれにしろ出版後に後悔しない状態にすることが一番大事だと思います。


File.5  論文査読 (2008/07/12)

 論文を書いた後は、査読してもらうことが力量を高めるうえで欠かせません。ちょうど昨日も一本の査読を終えたばかりなので、今回は査読される側とする側から書いていきます。

 まず査読される側。大学院を退学して以降、長い時間、私は指導教員を得ることができませんでした。その時の自分にとって、学会誌に投稿することは唯一の指導の場でした。
 修正であれ却下であれ、他人からの評価が得られることはかなり貴重だったので、毎年1本は投稿しました。ポストに入れるときは、いつも心の中でかしわ手を打ちながら祈っていました。
 幸運なことに投稿したうちの9割は採用されましたが、その時のコメントはかなり勉強になりました。さらに、却下された論文の理由は今振り返ると痛いほどわかりますし、今後に活かす教訓になっています。

 次に査読する側。この数年で、何本かの学会誌の論文査読を行う機会を得ました。
 まず査読は、学会誌の投稿規定や基準にそって原則的に行われます。筆者名は隠されているため、内容だけで勝負です。それにしても、他人の書いた論文の課題は、なぜかよく見えるのですよね…。
 査読を行っていると、論文ってこんなふうに書けばいいんだとか、研究ってこんなふうに行えばいいんだということもわかり、とても勉強になります。私にとっては院生指導のトレーニングの場といってもいいでしょう。
 そして昨日は、こんなふうに学問って積み重なっていくのかという大きな視野が得られ、改めて研究の素晴らしさを感じました。

 自分一人で完結する自己満足な論文ではなく、他流試合を行うなかで「知」の蓄積に関わっていきたいと、自分に言い聞かせてやっています。


File.4  英語の論文を読む (2008/07/06)

 図書館で文献を集めたら、今度はそれを読む作業です。
 日本語の論文はともかく、英語の論文をどう読んで研究に活かすか(他の語学はこの際カット)が悩ましいところ…。このところ毎日英語と格闘しているため、少し気づいたことを振り返ってみたいと思います。

 私が英語の論文を読み始めたのは、博士課程の受験勉強の時からでした。帰国子女でなく留学経験もない私にとって、長文読解は最初はかなり取っ付きにくい課題でした。そこで手っ取り早く習得する方法として選んだのが英会話教室の個人レッスンで、会話ではなく読解をオーダーし1年間続けました。当時、100万円近くをつぎ込み、大学院の教員からは「金権語学」と揶揄されました。
 その後、少しずつ論文を集めては読んでいましたが、最初は苦労しました。なんたってわからない単語ばかりなのですから。でもそんな時には、ある先生が「15回も辞書を引けば覚えます」と仰っていたという話を聞いて、励まされました。

 しかし、その頃から今年に至るまでの数年間、英語から遠ざかっていたことは否めません。その間、語学力を維持するために数年前から『TIME』は読んでいますが、やはり専門分野ではないため、わからない単語だらけで「読む」というより「眺める」と言ったほうが近いかもしれません。
 今年度になって、また本格的に英語論文のレビューを始めました。ゆっくり読めば辞書無しで大意はつかめるのですが、引用のために集中的に訳そうと思うとやはり時間がかかります。

 でも、何本かの英語論文を読んで気づいたことは、英語だからといって特別優れたことが書かれているわけではなく、日本語の論文がピンキリであるように英語論文もそうであること。論文に書かれてある背景を知らないと、理解しにくい面があること(.これは日本語も同じ)。はじめから精読せずに、アブストラクトと沢山の論文を読むなかで、玉石を見分けるリテラシーを習得することです。
 そして痛感しているのは、語学力は一朝一夕には身につかないこと。これからも、ずっと継続していくことが上達の一番の早道なのでしょう。


File.3  図書館活用法 (2008/06/29)

 今回は研究活動に不可欠な文献収集の話です。
 私の母校の図書館はかなり充実しており、資料の宝庫でした。今でも、福祉分野では日本一の資料数だと思っています。 しかしながら、その後私が赴任した大学の図書館の貧しいこと…。そのなかにあり、最近いくつかの図書館での資料収集を行うなかで、つくづく図書館の充実度は大きな課題であることに気がつきました。いわば、その大学の潜在的な能力をはかる指標になるのではないかとも思っています。

 大学教員ともなると、すでに専門領域のテキストや図書は手に入れているので、もっぱら図書館を使うのは他領域の文献を借りるか、雑誌論文等を収集する際になります。
 このところ活用しているのは、和洋雑誌の電子ジャーナルか他館依頼。特に、某大学で活用してる洋雑誌の電子ジャーナルは重宝しています。これまでは職場の図書館に依頼して、2週間ほど待たなければならなかったのが数日で入手できるのです。恥ずかしながら、こんな社会資源があることを知らなかった私は、随分と長い間、非効率的な時間を過ごしてきました…。

 それから、図書館司書と仲良くなることも一つです。いろいろなノウハウを教えてもらえるので助かります。また、希望する図書を注文して入れてもらって、図書館を充実させるのも必要なことかもしれませんね。


File.2  学会発表のちょっとしたコツ (2008/06/11)

  学会シーズンです。私は秋の社会福祉学会で発表する予定です。そんな学会発表にまつわるコツを少々。
 何はともあれ、決められた時間内にいかに伝えたいことを簡潔に伝えられるかが勝負です。そのためには、事前の準備は欠かせません。可能であれば学会発表前に論文を執筆することがベターです。が、学会での反応を見てからという場合もあるでしょう。

 そんな時に備え、声を出しての予演と質疑応答対策のためのQ&A作成は必須です。なかには口頭原稿を書く人もおり、私も最初はそこまでやっていましたが、最近では前よりも度胸がついてきたので口頭原稿は作らなくなりました。
 また、いかに分かりやすいプレゼンツールを作成するかも、大事なポイントです。昔は配布資料のみでしたが、この頃はパワーポイントがオーソドックスです。その際にも、必ずスライドを印刷したハンドアウトは配るようにします。なお、パワーポイント作成の際には、ほどよい分量の情報を1ページにおさめることが大事です。いかに良い内容でも、細かい字が画面一杯に広がっていたら見る気を失ってしまいます。

 そんなかんじで準備を進めますが、やはり本番では緊張するもの。上手くいかなかったら忸怩たる思いをし、捲土重来を期すのです。上手くいったらその日だけは満足感にひたり、打ち上げの美酒に酔いしれる。
 それこそがライブの醍醐味なのでしょう。


File.1  編集作業に思うこと (2008/05/30)

 ちょうど今、研究書の編集を行っているため、それに関して気づいたことを述べていきます。
 私が編者、もしくはそれに準じる形で本の編集を行ったのは、今回で6冊目になります。編集作業は、原稿執筆時点もさることながら、原稿が集まってからが本番です。全体を通しての用語や図表フォームの統一、一貫性のあるトーンの調整等々、続々と行うことが沸いてきます。
 そのなかで、いくつか気づいた点を列挙すると…

・編著者の場合には自分が執筆した部分を他者に読んでもらう機会が少ないため、早めに執筆を終え
  て何度も自分で推敲する。もしくは、意識的に共同執筆者に読んでもらうよう依頼しておく。
・原稿は締切日が過ぎても何度か原稿が送られてくるため、新たに加筆・修正してもらった箇所は色を
  変えるなど、一目瞭然にしてもらう。ホントは締切りを守ってほしい…。
・編集作業の工程表を作成し、終了した仕事と進行中の仕事がわかるようにしておく。工程表の項目は
 、原稿執筆、第1次修正、執筆者への返却・連絡、第2次修正、仕上げ等々。
・ある程度集中した時間をとり、原稿を通読する。そうしないと、全体のトーンの調整が難しくなる。
・必ず原稿を入れる決意をもって、締切日から逆算した時間管理を行う。

 というように、いろいろな事柄が見えてくるのです。
 そして、『次回こそは共同執筆ではなく単著にしよう!!』と、毎回、決意する私でした。



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