今回は20代前半に行った、岐阜県社会福祉士会理事の仕事についてです。 |
大学院修士課程を修了した私が、最初に就職したのは岐阜県羽島郡にある総合病院で、一人職場のソーシャルワーカーになりました。高齢者福祉研究会の仲間だった、他病院のソーシャルワーカーさんからの紹介でした。
その後、社会福祉士資格を取得した私は、もうすぐ発足予定だった岐阜県社会福祉士会に入会しました。まだ社会福祉士会とは何を行う会なのかよくわからなかったけれども、その頃の私は「組織的活動」に対する無条件の信頼感があったため、社会福祉士を取ったからには社会福祉士会に入らなければという思いがあったのです。
そして会の発足式当日の総会で、前もって話がなかったのになぜか私は「岐阜県社会福祉士会理事 調査研究部長」に任命されました。『理事って何?調査研究って何をすれば良いの?』という疑問はあったものの、一方で大学院修了生としては妙なプライドもあり、『よし、やってやる!』という気持ちがありました。
理事としては理事会に欠かさず出席し、一番歳下のくせにバシバシ意見を言いました。ある時、社会福祉士会理事の人が○○党から市議選に立候補するため、社会福祉士会としても後援をしようという話が理事会で出されました。しかし、私は大の○○党嫌い。そのため、理事会で猛反対したのを覚えています。いわく「社会福祉士会はいろいろな思想信条の人の集まりである。だから、特定の政党から立候補する人を会全体で応援するのは違うと思う!」と。あまりにも激しい口調でそれを言ったため同調する人も出てきて、結果的には有志で後援という話しになったと思います。きっと会長をはじめ歳上の男性ばかりの会だったため、苦々しい思いで私の言葉を聞いていたことでしょう。それを裏付けるように、後日仲間から「役員の○○さんが、保正さんには一度ガツンと言わないといけないと言っていたよ」とご丁寧に教えてくれました。でも、その後もガツンと言われませんでしたが・・・。清濁併せのむのが苦手なのは、今も変わっていないようです。
一方、調査研究部長としての仕事は岐阜県社会福祉士会員の実態調査を行ったことでした。単純集計だけでしたが、自ら企画してアンケート調査を実施し、まとめたものを岐阜県社会福祉士会の雑誌に載せました。それが、今振り返ると修士論文執筆後、社会人になってから初の「業績」のようなものになりました。
そして、1993年1月に行われた任意団体日本社会福祉士会の設立総会には、「自分の目で歴史の1ページを見てくるんだ!」と、みぞれ降る八王子の大学セミナーハウスに駆けつけました。その時の設立宣言※に心ふるわせたものです。
そんな生意気盛りの20代前半でしたが、会のおじさま達にはよく飲みに連れて行ってもらいました。特に印象深かったのは、「ケントス」という生バンド演奏で踊れるライブハウスに何度か行ったことです。おじさま達と精一杯踊ったことが記憶に残っています。そんな私が東京に行く際には会で送別会を開いてくれたり、東京に行った後も電話がかかってきて、代わる代わる「元気か〜?」と声を聞かせてくださり、思わず涙ぐんだこともありました。
そんな岐阜県での活動が、今に至る私と社会福祉士会との出会いの場となったのでした。
※日本社会福祉士会設立宣言
新しい時代は、新しい人を必要とする。
今日わが国は、新しい価値基準を求めて流動化している国際社会の中で、国民がかつて経験したことのない不確実な時代と社会に突入し、次のあるべき社会の姿を模索している。
時代展望の不透明性、自然破壊、飢餓と飽食のアンバランス、戦争・暴力といった地球規模の問題
から、市民社会における排他的利己主義の浸透、「無関心」による非人間化の進行、機械文明への過度の依存、個人生活における精神性・倫理性の低下、人間関係の希薄化、といった諸問題を、国際 社会もわが国も抱えている。
加えてわが国では、超高齢社会を目前に控え、出生率の低下と労働力不足、家庭及び地域の養護力・介護力の弱体化や、又市民性と権利意識の未成熟などの諸問題を抱え、さらに多様化した生活様式と価値観の中で「真の豊かさ」を見失っているという状況がある。
こうした状況にあって、社会と家族及び個人を、地域と生活の両面から支えていこうとする社会福祉の課題は大きく重い。それは、平和と人権と人格の確立を心から願い、全ての人々に温かいまなざしを
むける人間尊重の思想を根本に置き、労働能力のみで人間を見ないという「有用性からの解放」の
視点に立って、全ての人々の変化と発達の可能性を信じ、全人間的な視点から社会福祉実践を行う
ことを目標とする我々社会福祉専門職の課題でもある。
我々社会福祉専門職は、全ての人々のより人間らしい「生活の質」(QOL)をめざした生存権と生活権の保障を基礎とし、住宅・労働・教育・保険・医療などの分野と連携しつつ、人々の社会生活上の基本的ニーズの充足を試み、社会的、インテグレーション(統合)と、あらゆるところでのノーマライゼーションの推進・達成を図り、そして「人間尊重」を第一義とする平和で人間らしい生活を営むことができる
福祉社会の実現のために、援助を必要とする人々を支えようと努力する。
こうした時代の状況と課題の中で、国家資格「社会福祉士」が、社会の要請に応じて、1987年5月26日、「社会福祉士及び介護福祉士法」(法律第30号)によって法制化され、5年が経過した。
そしてその合格者数は、1960名に達して、我が国最大の社会福祉専門職(ソーシャルワーカー)の団体となることが予測されている。その社会福祉士は、前述したような世界と我が国の種々の課題への対応、並びに社会福祉の増進と向上に貢献することを、自らの責務として自覚する。
社会福祉士は、社会と制度の改革を基盤に、人と環境の相互作用の中に生じる社会的、障害を中心的課題として、社会資源の活用と改革を行いつつ、次のような援助を行いたいと願う。
我々社会福祉士は、援助を必要としている人々の共感的理解と需要を「傾聴愛」をもって行い、それらの人々の変化と可能性に対する信頼を持ち、当事者の「対処能力」の強化を支援し、その自立を側面的に援助し、全ての人々の自己実現への努力を援助する。
「社会福祉士」は、我が国の社会福祉にとって不可欠な存在として育ちつつある。
この資格の重要な意義は、「援助を必要とする人々の生活と人権を擁護すること、そのために社会的発言力を強化すること」にある。またわれわれは、専門ソーシャルワーカーのサービスを高度で公平なものと保証するたにも、公的資格を有効なものとして生かさなければならない。
従って、この資格を持つソーシャルワーカーの組織である日本社会福祉士会の目的は、「ひとびとの
要求に答えることのできる社会福祉専門職団体としての専門性と実力の向上」にある。又全てのソーシャルワーカーが安定して実践を行うことができるためにも、その社会的地位の向上を図り、保険・ 医療・教育等の関連分野の専門職と連携しつつ、社会福祉専門職の中核として社会福祉士が団結することが、急務となってきている。
我々「社会福祉士」は、次のように願う。
我々は闘う、全ての人々のより良き生活のために。
我々は憎む、非人間的な社会を。
我々は愛する、全てのかけがえのない人々を。
我々は援助する、謙虚な心と精一杯の努力をもって。
そのために我々は、明るい、さわやかな、実力を持った、柔軟で民主的 な専門職集団を結成したいと心より願う。
ここに我々「社会福祉士」は、自ら負わされた課題と役割の重大さを深く 認識し、
先に述べた願いを果たす決意をもって、「日本社会福祉士会」の設立を宣言する。
1993年1月15日
日本社会福祉士会
|
|
|
|
|