演劇鑑賞会の事務局〜甲羅から少し手足を出した亀 本文へジャンプ
最初は、高校生の時に携わっていた演劇鑑賞会の事務局から。


 人生で初めて社会的活動を行ったのは、高校生時の演劇鑑賞会事務局の仕事でした。高校時代に演劇部だった私は、毎月、劇団を呼んで演劇鑑賞を行う富山県演劇鑑賞会に入っており、毎月1本ずつ演劇を観るという生活を送っていました。
 ある時、どういうルートかわかりませんが事務局を行わないかと声をかけられて、やってみようと思ったのです。家と高校以外での初めての経験。事務局には、私よりも歳上の人ばかりが集っていました。ただでさえ人見知りなのでかなり緊張感があったと思いますが、それと同時に、知らない世界を見てみたいという好奇心も旺盛だったので、何か勉強になればいいなくらいの気持ちでした。また、同級生のなかで高校以外の世界を知っているという、優越感にも浸りたかったのかもしれません。
 
 その時、どんな作業を行ったかは明確に覚えていませんが、会のチラシを作成したことだけは覚えいています。大学生のお兄さんがチラシにイラストを描き、それがとても可愛い動物の絵だったことは今でも記憶のなかにあります。たぶん私は、そのチラシを仕上げる役割を担ったのだと思います。
 さらに、実際に劇団を呼んで演劇鑑賞をする際に、楽屋で劇団員の方への接待をしたことを覚えています。私は名優、宇野重吉さん(寺尾聰さんのお父様)の担当でした。たどたどしい手つきでお茶を出したら、「高校生?頑張ってね」と声をかけられました。それが嬉しくて、それ以降尊敬する俳優はと聞かれたら「宇野重吉さん」と答えていました。ただ、私が声をかけられてから5年と経たないうちに、宇野さんが亡くなられたことは残念でした。

 そんなこんなで、初めての社会的活動デビュー。亀が甲羅から少しずつ手足を出して周囲の感触を確かめるように、私も手探りで外の世界を少し触ってみて、自分が触れた外の世界はまだまだ広がっていることを感覚的に理解しました。そして、演劇を鑑賞するためには、チラシを作って宣伝したり、劇団員の方が心おきなく演じられるための気遣いをする必要があるということ、そんな裏方の仕事が表舞台を支えていることをわずかながら感じ取ることができました。
 ほどなく、受験シーズンに突入したために数回で事務局の仕事は辞めてしまったのですが、この活動が私にとっての社会的活動原体験です。その後、県レベルの活動、全国レベルの活動と携わる範囲を広げていくのですが、それはもう少し後の話になります。
 


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