どこまでも広がる観音崎の海 本文へジャンプ
観音崎の海は、私の研究者としての第1章を締めくくる場所でした。


 
 その日、私は観音崎の海を見ていました。快晴の空のもと、強い風が吹き、沢山のさざ波が立っています。
 それまでの10日間はクリスマスも年末年始も関係なく、博士論文の修正に追われており、ようやく1月1日に修正が終わって製本所に出したところでした。それまでも何度か修正は行ってきたけれども、私にとってはいつも以上に渾身の力を注いで仕上げることになりました。そのため、書き上げた時には論文のこと以外は思い出せず、いささか放心状態。論文以外の仕事もたまっていたけれど、さすがに一区切りついたところで休まなければと思いました。

 そこで頭に浮かんだのが、観音崎の海に行くことです。松任谷由実の「よそゆき顔で」という好きな曲のなかに「観音崎の歩道橋に立つ〜♪」というフレーズがあり、一度は観音崎という場所に行ってみたいと思っていました。そこで、1月2日にいつものように北鎌倉の葉祥明さんの美術館に立ち寄った後、観音崎にやってきました。参拝客でごった返す地元浅草とは対照的に、人はまばらでした。
 観音崎灯台にのぼって見おろした海は、どこまでもどこまでも広がっていました。その時見た海の広さ、清々しさは、ひとまず論文を書き上げた自分の気持ちとよく似ていました。そして、「ようやくここまで来たんだなぁ」と思いました。というのは、すでに次の春には教授昇格が決まっており、このまま順調に行けば博士号も取得できる、という一筋の光が見えていたからです。

 大学教員になってから16年間、博士論文を書き始めてから5年間、いろいろなことがありました。それは、いつもいつも楽しく充実していた日々ではありませんでした。様々な場面で、不条理さ、悔しさ、悲しみ、ジレンマ、消耗感を感じてきました。それでも、ただひたすら進んできました。
 そんな新人教員から中堅教員へと移り変わってきた私の第1章が、もうすぐ終わる予感を感じながら海を見ていました。「こんなに遠くまで来たんだなぁ」と。
 その後、無事に博士号の取得も決まり、研究者としての第2章を迎えられそうです。

 先日、同僚の先生達が私のお祝い会をしてくださり、「先生の原動力はなんですか?」と質問されました。そこで思い浮かんだ答えは、「自分を変えたいから」。
 振り返ってみると、子どもの頃からずっと自分と自分を取り巻く状況を変えたくて、あがきながら、もがきながら進んできました。きっと第2章がスタートしても、やはり転がる石のように、いつもいつも変化を求めていくのだろうと思います。
 そして、変わることに疲れたり、一区切りついた時には、また海を見にくると思います。そんなことを考えながら、観音崎の海で2013年が始まりました。
                                                   (2013/03/02)


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